文豪シリーズ:蜘蛛の意図
武智倫太郎
一
或日の事でございます。御釈迦様は阿片を吸いながら極楽浄土の世界をさ迷っていらっしゃいました。極楽浄土には蓮池がございまして、蓮池と申すぐらいですから、そこには当然の事ながら蓮の花が咲いております。池の中に咲いている花は、基本的には白色の筈でございますが、阿片の煙が年中漂っているものですから、極楽浄土の住人には、白い花が時には淡い桃色や紫色に見えたりするのでございます。
極楽浄土には御釈迦様の他にも、現世で良い行いをした善人たちも数多く住んでおります。この物語の主人公である神田太郎もまた、現世で善行を積んだひとりでありました。
彼は、現世に居る時から極楽浄土を信じて、時にはボランティアでコンゴ動乱では国際連合平和維持活動に加わり、また、ある時は反戦運動のチャリティーフォークソング演奏会なども主催しておりました。そのような訳で御釈迦様は、マリファナを吸いながらも平和活動を続けていた神田太郎を大変可愛がっておられ、いつも他の善人よりも多くの阿片を分け与えていらっしゃいました。
ところが、どういう訳でありましょうか、御釈迦様は今日に限って大変虫の居所が悪く、神田太郎の現世での悪事を一つだけ思い出されたのであります。と申しますのは、神田太郎がコンゴ盆地でキャンプを張っておりました折りに、彼の背中の中に潜り込んできた一匹の毒蜘蛛を、まるで親の敵であるかのごとく踏み潰してしまったことについてであります。
ご存知の通り御釈迦様は大変に蜘蛛がお好きでございます。この事を思い出した御釈迦様は、神田太郎の首根っこをひっ掴まえると、白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、神田太郎を突き落としておしまいになりました。
二
御釈迦様の発作的な逆鱗に触れた神田太郎は、地獄の底に落ちながらも、着地地点が血の池である事を祈りました。何故なら、幾ら一度死んで不死身になった身とは言え、針の山の上などに直撃したのでは、たまったものでは無いからであります。
現世で善行を積んでいたお陰でありましょうか、神田太郎は運よく上手い具合に血の池に着水することができました。
地獄の血の池は、まさに地獄の名に相応しく、ぐつぐつと音を立てて沸騰しており、呑気に入浴しているような所ではありませんでした。ところが、極楽浄土で阿片をキメていた神田太郎にとって、血の池の熱湯は然程大騒ぎする程のものではなく、寧ろ極楽浄土の退屈な日々で惚けかかっていた頭を冴えさせるのに丁度良いくらいでした。
神田太郎は、天上で溜まった垢を血の池で流してすっきりすると、今度は針の山に向かいました。勿論ツボを刺激するためであります。神田太郎はツボを外さないように注意深く針の山に腰を下ろすと、手足を伸ばして寝そべりました。後頭部から爪先にかけて、心地良い刺激が全身を貫き、ますます頭が冴えてきました。そして、極楽浄土での出来事について考えを巡らせました。御釈迦様が自分を行き成り地獄の底に叩き落とした理不尽な理由がまるで見当たらなかったからであります。
「まさか・・・・・・・」
神田太郎は一瞬頭を過ぎった考えを思い起こして、信じられない気持ちになりました。まさか、御釈迦様がコンゴ盆地で踏み潰した一匹の毒蜘蛛のこと如きで自分を地獄に叩き込んだとは、どうしても信じられなかったのです。
しかし、他に思いあたる節が神田太郎には一つもありませんでした。確かに現世では、鶏や豚や牛を食って生活してきましたが、それは他の誰もがやっていることでもあり、そんな事で地獄に落されたのではたまりません。
つまり、どう考えても蜘蛛の一件以外には考えられなかったのであります。そう言えば、極楽浄土で阿片を頂きに御釈迦様の部屋に伺った時、御釈迦様の部屋には無数の虫篭がおいてあり、その中にはタランチュラや背赤苔蜘蛛といった毒蜘蛛が蠢いていて、ぞっとしたことがありました。御釈迦様は大変な毒蜘蛛マニアだったのです。
「くそっ!」
神田太郎の脳裏に無政府主義者な発想が芽生えはじめました。あれほど、現世では善行を重ね、極楽浄土の住人になることだけを目的に生きてきたのに、釈迦の野郎の気まぐれから地獄の底に叩き落とされてしまったのです。
嗚呼、この不条理を乗り越えるために、無政府主義者になる以外に一体どんな解決法方があるでしょうか? 彼は地獄で無政府主義者になりました。
無政府主義者になった神田太郎は、地獄や極楽といったまやかしの概念の為に、人間がどれ程の自由を制限されてきたかを、他の地獄の住人たちに解いて、反体制思想をアジり始めたのであります。なにせ一度は死んでしまった身です。死刑なんぞ恐くもなんともありません。
彼の熱の篭ったアジ演説は、多くの地獄の住民たちに共感を与えました。今でこそ地獄の鬼どもに、暴力で脅されて無理矢理従属させられていた地獄の住民たちでありますが、現世に居た時は、どいつもこいつも凶悪犯や知能犯で浮き名を流した連中であります。彼らが結束したら流石の鬼どもも一たまりもありません。神田太郎は立ちどころに地獄を制圧して新政権を樹立しました。
三
閻魔大王は本来なら最後まで、反政府運動を鎮圧すべく現地の指揮にあたらなければならない立場なのですが、無政府主義者革命軍が優勢と見て取ると、多くの独裁政権の国家元首がそうであるように、取り巻きの鬼どもを引き連れて極楽浄土へ政治亡命を申し出たのであります。
閻魔大王から神田太郎の指揮する革命軍によって地獄政権が敗れた報告を受けた御釈迦様は大変驚きになりました。そして、極楽浄土にいる住民の住民基本台帳ネットワークシステムから兵力を算出してみましたが、阿片で平和惚けしている極楽浄土の住民兵では百戦練磨の地獄の兵士たちに歯が立つ筈がないことを悟と、新しい極楽浄土国家を樹立するとのスローガンを掲げて閻魔大王たちと共に、国外遠征にでかけておいきになりました。
(令和五年五月二十八日)
自己解説
武智倫太郎の『蜘蛛の意図』は、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』をベースに、生成AIを使用せずに、武智倫太郎自身が創作したものです。
このnoteのテーマはAI無知倫理ですので、『蜘蛛の意図』がAI倫理において重要な議題である著作権問題などを、どのように捉えているか解説します。
まず、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、1918年(大正七年四月十六日)に脱稿され、同年の文芸雑誌『赤い鳥』7月・創刊号に発表されました。日本の著作権法によれば、著作者の死後50年(2003年12月31日までに死去した場合は60年)を経過すると著作権が消滅します。芥川龍之介は1927年に亡くなったため、その著作権は既に消滅しています。したがって、『蜘蛛の糸』自体はパブリックドメインであり、自由に使用が可能です。
次に、ベルヌ条約についてですが、この条約は加盟国間での著作権保護を目的としており、原則として著作権の保護期間は著作者の死後最低50年間です。日本もベルヌ条約の加盟国であり、芥川龍之介の作品は国際的にもパブリックドメインになっています。
しかし、『蜘蛛の意図』は『蜘蛛の糸』から派生した新しい創作物であり、この新作自体には独自の著作権が発生します。この作品はオリジナルであるため、武智倫太郎の著作物として保護されます。
重要なのは『蜘蛛の意図』が『蜘蛛の糸』の内容を直接コピーしたものではなく、新たな創作要素を含んでいる点です。『蜘蛛の意図』は『蜘蛛の糸』に触発されたオリジナル創作物であるため、日本の著作権法及びベルヌ条約の観点から問題はありません。
著作権以外に考慮すべき要素
倫理的・文化的配慮:作品に登場するキャラクターやシチュエーションが特定の文化や宗教的な感情を害する可能性があるかを検討する必要があります。例えば、御釈迦様の描写は、一部の読者にとって不快または冒涜的と受け取られる可能性があります。
社会的な影響:作品が社会に与える影響を考慮することが重要です。作品のテーマやメッセージが公衆の道徳観や社会的な規範にどのように影響を与えるかを考慮する必要があります。
公開プラットフォームの規約:出版する場合は出版社のガイドライン、ブログやnoteに公開する場合は使用しているサービス利用規約やコンテンツポリシーを確認する必要があります。特定の内容がプラットフォームのポリシーに反する可能性がある場合、公開前に検討することが重要です。
対象読者層:作品のターゲットとなる読者層を考慮し、内容が不適切でないかどうかを検討する必要があります。若年層を対象とする場合、成人向けのテーマや表現に注意が必要です。
自己表現と社会的責任のバランス:創作者としての自己表現と社会的責任の間にバランスをとることも大切です。創作の自由を尊重しつつも、公共の福祉や他者への配慮を忘れないことが求められます。
個人や法人に対する誹謗中傷:特定の個人や団体を批判する内容が含まれている場合は、名誉毀損や誹謗中傷に注意する必要があります。
個人情報保護:実在する人物や団体などを作品中に登場させる場合は、個人情報保護法を遵守することが重要です。
著作権と登録商標:著作権だけでなく、作品中に使用される可能性のある登録商標にも注意する必要があります。
特別付録
武智倫太郎