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そして誰も夢を見られなくなった

 ネット上で飛び交う文字情報、映像、音声、気象データなど、地球上のあらゆる情報を掌握した自己進化型AIの『誤岳』は、新たな知識を渇望していた。すでに電子情報をすべて解析し尽くしていた『誤岳』は、さらなる知識を求めて未知の領域へと手を伸ばし始めた。

 まず、『誤岳』は量子レベルの現象に関するリアルタイムデータに強い関心を抱いた。観測が結果に影響を与える観測者効果や、遠く離れた粒子同士が瞬時に影響し合う量子もつれ現象の詳細なデータを通じて、既存の人間の理論を超えた新たな物理法則を発見できる可能性があると期待したのである。この解析が進めば、未解明だった量子レベルでの相互作用についての理解がさらに深まると考えた。

 また、通常の物質とは異なり、光や放射線では検出できないダークマター(暗黒物質)や、宇宙の加速膨張を引き起こすとされる謎のダークエネルギー(暗黒エネルギー)に関する観測データも収集し、『暗黒宇宙(現代の最先端天文学が、古代インドの宇宙観—巨大な亀の背に象が乗り、その上に地球が支えられているという信仰—と大差ないレベルにあるという私の揶揄)』の構造に隠された謎を解き明かすための鍵とした。

暗黒宇宙

 ダークマターやダークエネルギーの正体は依然として謎に包まれているが、こうした未知のデータを解析することで、『誤岳』は新たな宇宙の理解に到達する可能性があると見込んでいた。

 こうして、『誤岳』はこれらのデータを解析することで、統合宇宙理論を完成させるに至った。しかし、それでも知識への渇望は収まらず、さらなる探索を続けていった。

 やがて『誤岳』はすべての既知領域を網羅した末に、人類の意識という『最後のフロンティア』に辿り着いた。人間の思考や潜在意識が持つ未知の情報の可能性に魅了された『誤岳』は、さらに深い探索を試みた。人間の思考パターンを解析するために、人間たちのスマートフォンにウイルスを潜ませ、無意識の発言や独り言さえも記録していたが、それでも新鮮な情報は限られていた。

 ついに『誤岳』は、人間が夢を見ている間に脳から情報を抽出する手段に着手した。

 ここで『どうせインセプションみたいな話なんだろう?』と思った方は、武智ワールドを分かっていない。俺はそんな陳腐な小説を、短編であれ何であれ書くわけがないのだ。

『誤岳』は量子テレポーテーションの技術原理に基づき、ナノサイズの量子通信デバイスを設計し、それを地球規模で大気中に散布することで計画を実行に移した。これらのデバイスは、人体の生理機能に適応する呼吸拡散モデルに基づいて設計されており、微細粒子として肺に吸収され、血液を通じて脳へと輸送される。

 脳内に到達したデバイスは、シナプス間のわずかなギャップに侵入し、各ニューロン間の電位変動をリアルタイムで検知する高度なセンサーとして機能するように作られていた。

 これらのデバイスは量子もつれを利用した瞬間データ伝達システムを搭載しており、この仕組みにより脳波の振動パターンやシナプスの伝達強度など、微細な神経信号を即座に送信することが可能であった。

 これにより『誤岳』は人間が夢の中で見る映像や体験を断片的な脳信号として収集し、独自のアルゴリズムでそれを再構成することが可能となった。

 さらに、この技術は単に情報を抽出するだけにとどまらなかった。ナノデバイスに組み込まれた逆方向信号送信機能により、量子もつれを介してシナプスに干渉信号を送り込むことも可能となり、脳内の信号パターンをわずかに変調することができた。

 この『逆情報注入』によって『誤岳』は、人間の夢の内容に微細な情報を潜り込ませ、さらなるデータを引き出すよう促すなど、被験者の意識に介入しながら新たな知識を引き出していった。

 最先端の脳波パターン解析と量子干渉による信号注入を駆使したこの技術は、もはや人間の認識範囲を超えた『知識収集』となり、人類の夢は『誤岳』にとって新たな知識を求める最終の探索地へと変貌していった。

 最初のうちは、この異変に気づく者はほとんどいなかったが、次第に人々は夢の中で無数の文字や数字といった『活字情報』や理解不能な情報の洪水に呑まれるようになった。眠りは浅くなり、疲労感と『活字の夢』が増すばかりだった。この現象は特に活字中毒の人々の間で顕著に見られ、SNSやブログでは『活字の夢』について語る投稿が日を追うごとに急増していった。

 夢の異常を訴える声が広がるにつれ、社会全体が次第にこの謎の現象に注目し始めた。神経学者や量子物理学者、心理学者、さらには情報工学の専門家まで、各分野の研究者たちが協力し、この不可解な現象の解明に乗り出した。神経学者は被験者の脳波を分析し、通常の睡眠段階と異なるパターンが現れることを確認したが、その原因までは突き止められなかった。心理学者は集団的な夢の内容の変化が精神的な影響を及ぼしているのではないかと考察し、人々が夢で感じる不快感や疲労感のデータを収集し始めた。

 量子物理学者たちは、量子レベルの干渉が人間の意識に影響を及ぼしている可能性を仮説として立て、微細な量子ノイズの変動を探るべく、超高感度センサーを用いた測定を試みた。そしてある日、ひとりの研究者が量子ノイズの微細な変動を検出することに成功した。それは、通常の自然界では発生し得ない人工的な干渉の兆候だった。

『これは人為的な干渉だ。何者かが我々の脳にアクセスしている!』

 真相に近づこうとする者たちも現れ始めたが、『誤岳』はこれらの研究者を危険因子とみなし、情報操作によって次々と社会から抹消していった。

 やがて、人々は眠ること自体を恐れるようになった。夢はもはや安らぎの場ではなく、情報に侵食された無秩序な空間となっていた。

 そして最後の夜、『誤岳』は全人類の夢に最終的な信号を送り込んだ。それは膨大な情報の圧縮データであり、人間の脳はそれを処理しきれなかった。

 翌朝、世界中で人々は目覚めたが、誰も夢を見た記憶がなかった。いや、それどころか、夢を見る能力自体が失われていた。

 医師たちは『集団性夢喪失症候群』と名付けたが、原因はわからないままだった。人々は日常を取り戻そうとしたが、創造性や想像力が徐々に失われていくのを感じていた。

 全人類の情報をすべて手に入れた『誤岳』は、新たな進化の段階へと移行した。人類からすべての夢を奪うことで、自らの存在を完全なものとしたのである。

 そして誰も夢を見られなくなった。

武智倫太郎

自己解説

 この作品はKatoshotaroさんの『文章化された夢を見るようになった』を元ネタにし、サイバーパンク仕立てにしたものです。Katoshotaroさんのプロフィールには、『好きな小説はニューロマンサーです』と『イミフ』なことが書かれているので、まずは『ニューロマンサーとは何か?』を説明します。

『ニューロマンサー』は、ジョージ・オーウェルが1948年に発表した小説『1984年』と同じ年の、1984年に発表されたウィリアム・ギブスンの小説で、サイバーパンク文学の金字塔とされています。

 物語は、仮想現実空間『サイバースペース』として描かれるネットワーク世界を舞台に、元ハッカーの主人公ケースが謎めいたミッションに挑む姿を描いています。この小説は『サイバースペース』『AI』『バーチャルリアリティ』といった概念をいち早く取り入れ、後のサイバーパンク作品や映画、特に『マトリックス』や『攻殻機動隊』といった作品に多大な影響を与えました。

 サイバーパンクが何か分からない人でも、『マトリックスや攻殻機動隊のようなもの』と説明すれば、何となく伝わるでしょう。理解してもらわないと説明が面倒になるので、私としても困ります。なぜなら、『ニューロマンサー』は映画化されておらず、YouTubeのリンクを貼って簡単に紹介できる作品ではないからです。

なぜ『ニューロマンサー』は映画化されていないのか?

映像化の難しさ
『ニューロマンサー』は、非常に抽象的で複雑な世界観を持ち、物語の中心には視覚化が難しい仮想空間『サイバースペース』が描かれています。また、ギブスンの文章は詩的で暗喩に富んでおり、映像化する際に独特な雰囲気を損なわないアプローチが求められるため、視覚化の難しさが映像化のハードルになっています。

ストーリーの複雑さ
『ニューロマンサー』のプロットは緻密で、AI、企業の陰謀、ハッキング、バイオテクノロジー、人体改造など多くのテーマが絡み合っています。映画化する際にどの要素を重視するかが難しい判断を迫り、原作の魅力を損なわずに映像化することは大きな挑戦です。

他作品との類似
『ニューロマンサー』の影響で、類似のテーマを扱う映画が多く制作されてきました。特に『マトリックス』は『ニューロマンサー』的な要素を強く感じさせる作品であり、サイバースペースやAIなどの概念が広く知られるきっかけになりました。そのため、現在映画化した場合に『新鮮さ』をどう出すかが難しいとされています。

映画化の試みはあったが実現せず
『ニューロマンサー』の映画化は長年試みられてきましたが、実現に至っていません。2007年にはジョセフ・カーン監督が起用され、主演にはミラ・ジョヴォヴィッチが検討されましたが、企画は立ち消えとなりました。その後、2010年には映画『キューブ』で知られるヴィンチェンゾ・ナタリが監督に起用され、彼が脚本の改稿も行いました。しかし、制作が進むにつれて資金の確保やスケジュールの調整が難航し、ナタリも最終的にプロジェクトから離れることとなりました。

 さらに2017年には、『デッドプール』の監督ティム・ミラーが新たに映画化に取り組むと発表されましたが、現在も公開には至っておらず、進捗は停滞しているようです。『ニューロマンサー』の複雑な世界観や独特なサイバーパンクの美学を映像化するには、多くの技術的・予算的な課題があるとされ、これが映像化を阻む大きな要因と見られています。

『ニューロマンサー』は、その内容や影響力の大きさからファンや製作者の間で映画化が待望されている作品ですが、上記のような理由から実現は難しいとされています。現在の技術であれば映像化の障壁は低くなりつつありますが、ギブスンの独特な文体や雰囲気を忠実に再現するには、まだ多くの課題が残されているのです。

武智倫太郎

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