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終末の後に訪れる癒し:文化の日にパステルカンナを堪能する
本日は文化の日を記念して、パステルカンナの『海の上の図書館』をより深く愉しむために、一際終末観の漂う『そして誰も文化の日を祝えなくなった』を作成してみました。純粋にパステルカンナの世界を愉しみたい方は、まず以下の作品をお読みください。
ディストピア感に打ちひしがれた後の救いとしての救世主としてパステルカンナ作品を愉しみたい方は、以下の駄文の後にお読みいただけると、さらに愉しみが増すはずです。これは人間の自然な反応で、嫌な思いをした直後ほど癒しが必要だからです。
そして誰も文化の日を祝えなくなった
日本では『国民の祝日に関する法律』により、自由と平和を求め、美しい風習を育て、豊かな生活を築くために祝日を設けることが義務付けられていた。毎年11月3日の『文化の日』には、『自由と平和を愛し、文化を進める』ことが国民に厳しく強要されていた。
ポイ党が議員立法で定めた新祝日法の新文化の日では、その義務がさらに厳しくなり、『文化の日を祝わない者は死刑、もしくは無期懲役刑』という苛烈な罰則が導入され、文化を祝わない国民が次々と死刑にされていった。
新祝日法が施行されると、かつての『文化の日』の穏やかな祝祭ムードは完全に一変した。街中には巨大スクリーンが設置され、『国民よ、文化を愛せ! 文化の光を絶やすな!』と叫ぶアナウンサーの声が絶え間なく響き、ドローンが低空で監視し続けていた。祝わなければならないという圧力の中、市民は手作りの折り紙や俳句を練習し、無理やり伝統舞踊を踊った。
しかし、どれほど努力を尽くしても『文化への愛』が足りないと認定された者は、無情にもドローンに捕えられ、重々しい処罰が科せられた。ポイ党の文化警察は次第にエスカレートし、些細な『文化違反』すらも許されなくなった。例えば、折り紙の鶴がわずかに歪むだけで逮捕され、俳句が五・七・五のリズムから少し外れると即座に罪が確定した。『文化は完璧でなければならない』という謎のスローガンが掲げられ、人々は恐怖に怯えて過ごすようになった。
街の活気は失われ、人々は文化を守るどころか生き延びることに必死で、誰もが次第に無表情になっていった。文化的な創造性や表現の自由は空虚な言葉となり、誰一人として心から文化を祝うことはなかった。そして、ついに最後の祝日、11月3日がやってきた。街は不気味な静けさに包まれ、文化の象徴だった歌声や笑い声も聞こえない。花火が上がるはずの空はただ暗く、ひっそりと息を潜めていた。
かくして、日本の文化は消滅し、国民全員が『文化の日』を祝うことができなくなり――恐れも怒りも喜びもない、誰もが祝えなくなった。
そして誰も文化の日を祝えなくなった。
ところが、すべての日本人が完全に滅んだわけではありませんでした。実は、滅びの直前に電気がなくても読める紙の書籍を集め、『海の上の図書館』に人類の叡智を退避させた直後、彼らはほぼ絶滅してしまったのです。
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武智倫太郎