【七夕の読み物】新訳 ブラザー軒
田舎から出てきて10年、東京で忙しく働いている。「忙」という字は、「心を亡くす」と書くと、いつかどこかで聞いた記憶がある。適当なネットニュースだったかもしれないし、毎週金曜日に飲みに行く馴染みの店だったかもしれない。いつどこで聞きかじったかは忘れたが心に残っているということは、すなわち自分にとって真理であるということだろう。事実、故郷を想う暇もないし、自分が本当にやりたいことも忘れかけている。まさに「心を亡くしている状態」と言えよう。
それで、このままではいかんと思ったおれは、束の間の休息のタイミングで、久しぶりに郷里に帰ることにしたのである。
久しぶりの帰省を果たしたその日、ちょうど市街のほうでは、恒例の七夕祭りが行われるようだった。わき目もふらずに仕事に邁進しており、遊びに出かける余裕もないような毎日を経て鬱憤がたまっていた俺は、これまた久しぶりに祭りの様子を見に行くことにした。ところが、日が沈んだ頃に実家を出て、街に着く頃にはすでに大勢の人でごった返していたものだから、おれは早々に疲れてしまった。
とりあえず飯でも食おうと思いながら、人の流れから抜け出して人があまりいなそうな場所を歩いて晩飯にありつけるような店を探すことにした。歩いていると、ふと小綺麗な洋食屋が目に入った。そこはもともと3代続く100年近くの歴史があるお店なのであるが、最近店を切り盛りしはじめた3代目が古いものを活かしながら新しいことに次々チャレンジする気概があるお店で、レトロブームも手伝って話題になっているとTwitterかなにかで見たことを思い出したおれは、ひとまずそのお店に入ることに決めた。
ひととおりメニューを眺めると超好みのラインナップ。お手本みたいなハンバーグに、漫画で見るようなナポリタンなどがある。どれも捨てがたいと逡巡していると、随分若い男が店に入ってきた。彼よりもちょっと年下くらいの女と一緒に、カウンター席のおれの隣に座った。恋人同士という感じもしない、兄妹だろうか、など、ハンバーグを選んだおれは、料理を待つ間にふと隣の男女の関係性について推理を始めた。おれは飲食店とかで隣り合った人のペルソナを想像する趣味があって、年齢はこのくらいで、これこれこんな関係性で、こんな事情で今ここにいる、などというようなことを勝手に想像して、調子が良いと趣味や好きそうな音楽まで想像できる。二人はたいへんに顔が似ているから兄妹だろうなと思うとともに、女性のほうが、すごく痩せているのも相俟ってひどく疲れているようすだったので、コロナ禍明けで溜まっていた鬱憤を晴らすために兄妹でここに来たが、同じようにこの祭りの喧騒に疲れてしまってこの店に流れ着いたというところだろうと想像し、どことなく親近感を覚えたのだった。
てなことを考えているうちにハンバーグがやってきた。ちょうど二人の兄妹の分もできたようで、同時に運ばれてきた。ふたりともハンバーグを頼んだようで、その人気ぶりがうかがえる。どうやらおれはまたこの店の「正解」を引き当ててしまったようだと悦に浸りながら食べ始めた。アーケードに面したガラス張りの店内から外を見やると、濃紺色のたなばたの夜がのぞめる。店入り口のガラス暖簾がキラキラと波うち、風鈴の音が心地よい。男はひげについたブラウンソースを拭いている。妹はにこにこしながら食べ進める。
ふと、ここで妙なことに気が付く。ふたりともにこにこと食べているのだがしゃべり声が聞こえない。振り返って二人を見ると、確かに談笑しているように見える。確かにそう見えるのだが、二人には声がない。いったいどういうことだろうか。二人に気を取られていたところ、うっかりお冷の入ったコップをひっくり返してしまった。店のおやじがタオルをもってくる。やっちまったと思いながらテーブルを拭くのだが、ふたりはおれのことをまるで目に入っていないかのように意に介していない、いや比喩とかじゃなくてほんとにおれが見えてないようだった。
風鈴の音が花火の音にかき消される。男は煙草を取り出して吸い始めるのだけれど、これもまたおかしい。「金鵄」という見慣れないパッケージの煙草を吸っている。気になったのでググってみると、戦時中に生産されていたもののようである。
驚いたおれは男の顔を見ると、目の上に大きな傷があるのを認めた。そうとも、おれが5歳のときに死んだ爺さんの目の上にも全く同じ傷があったのだ。そういえば、小さい頃に爺さんには妹がいたらしいという話を聞いたことがある。この街で昔あったという大空襲の折に亡くなったと、そんなことを何度か聞かされた。 一体なんだっていうんだろう。幽霊にしては、ほん怖で見るようなイワコテジマ的なアレな感じはないし、邪気退アレ的なアレもない、時々見るお涙頂戴系のアレの話にするにはパンチが弱い。けれども確かに現実に身に起こったことだ。例えば、ただただ飯を食ってるだけのあの男が若かったころの爺さんで、隣にいたのはその妹だったと、もし本当にそうだったとしても、なにも不思議には思わない。熱に浮かされているのかあるいは、殊、夏という季節にあってはそんな話が普通にまかり通るくらいの不思議な力があるような気がする。相変わらずふたりには声がない。ふたりにはおれが見えない。なんだかおれにはそれが妙に寂しいことのように思えた。 …
やがて妹が先に席を立つと、若き日の爺さんはタバコの火をもみ消してふたり連れ立って帰っていく。市街地の古いアーケードのあたりにある洋食屋、たなばたの夜。キラキラと波打つガラス暖簾の向こうはもうすっかり暗い。おれも思わず席を立って後を追いかけたが、祭囃子に紛れて、やがてふたりは見えなくなってしまった。