【読み物】次郎は切り抜き動画の夢を見る_イントロ篇
都内某所、地下鉄の駅と繋がったとあるビルディングの一画、まだ始発も動き出さない時間からそこにはうすぼんやりとした明かりが灯る。人のいない地下鉄の通路からは、カチカチという音だけが響いている。
日本の伝統工芸品のひとつである「切り抜き動画」。2時間以上もの長尺動画のエッセンスをわずか5分に詰め込む。一見簡単そうに見えるのは、両の手とインターネット環境さえあれば誰でも作れる点にある。YouTubeに日々投稿される切り抜き動画。その数、日に数千とも数万件以上とも言われていることから、その間口は広く開かれたものと思われている。しかし、その動画の多くはほとんど日の目を見ない。多くの人の心を魅了する切り抜き動画を作るためには、洗練された技術を必要とする。一種引き算の美学の極致とも言えるその技術は一朝一夕には身につかない。切り抜き動画職人の世界で一人前になるためにはおよそ10年の修業期間を要すると言われている。切り抜き動画職人になるのに、学歴も生まれ育った環境も問わない。しかし「検索3年、視聴5年、切り抜き一生」と言われるほど、気の遠くなるような日々を経て初めて人々の心と時間を奪う作品ができることから、現代における工芸品として世界から知られている。
「名代 切り抜き次郎」。言わずと知れた切り抜き動画職人の名門である。わずか6席のカウンターから投稿される切り抜き動画、一日に制作できる数には限りがある。しかし、投稿される動画の再生回数は軒並み100万回以上。世界中から注目を集めている切り抜き次郎。ここに案内するということは、日本国内における最高のおもてなしと言われている。我々は今回、切り抜き次郎の内側に迫ることで切り抜き動画における引き算の美学の一端を明らかにする。
切り抜き動画職人の朝は、「ネタ」と呼ばれる動画検索から始まる。日々生産者から届く大量の長尺動画。その中からキラリと輝く「ネタ」を掘り当てることが、最高の切り抜き動画を作るための第一歩であることは職人の中では当たり前のことなのである。
朝4時30分。切り抜き次郎の若手職人が一斉に検索を始める。妥協を許さない眼差し、それは職人の矜持を体現している。
久保宇宙之介、21歳。中学を卒業してからすぐに切り抜き動画の世界に入ったこの青年がいの一番に「ネタ」を掘り当てる。
「YouTubeでよく見かける詐欺広告の闇を暴いてみたwww」8時間18分の大物だ。
「全然ダメだな」
厳しい言葉を投げかけるのは「目利きの寅」と呼ばれる岸辺寅之進35歳。切り抜き次郎のネタ選定を一手に担うベテランである。
「いいか、この動画、一見すると目が多そう(再生回数が伸びそう)な題材だ。だが尺を見てみろ、8時間18分もある。こういう動画はたいてい実のない話がダラダラと続く。旨味が少ない。そら見てみろ、うち7時間は広告詐欺に引っかかってダウンロードしてしまったゲームアプリの実況だ。生かせる素材があまりにも少ない。詐欺広告の闇を暴くなどと標榜しているがその部分の実態はまとめサイトのテキストを機械音声で垂れ流しているだけの動画だ。1日は24時間しかない。こんな動画から5分の切り抜きポイントを見つけるのは時間の無駄だ。」
洗練された審美眼。それが彼が「目利きの寅」と呼ばれる所以なのである。
朝8時50分、今日のネタが出そろったところで店内にSEAMOの『ルパン・ザ・ファイヤー』が響き渡る。SEAMOのラップに合わせて入店してきたのは、この店の板前長であり、人間国宝にも指定されている生きる伝説、「切抜き次郎」こと三代目切抜亭次郎(92)だ。
次郎は黙ってカウンターの上に並べられたネタと向き合う。初手、選んだのはとある配信者の4時間半にも及ぶ雑談動画。切り抜き動画界では定番と呼ばれるネタだ。シンプルな題材ゆえ比較的調理しやすいが、その分職人の技量が試される奥が深い題材だ。寿司でいうところの卵焼きにあたる一品である。次郎が深く息を吸う。時間が止まったような、ものすごい速さで流れているような、不思議な感覚が撮影クルーを包む。次郎は一息に4時間30分もの長尺動画を5分にまとめた。次郎は言う。「切り抜き動画は、切り抜いたその瞬間が美味しさの最高潮。だから、一息に作り上げる必要がある。そこに妥協は一切許されない。」
切抜亭次郎はいかにして切抜亭次郎になりえたのだろうか。その答えを探るべく、まずは彼の生い立ちから紐解いていきたい。(次回に続く)
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