映画『だいじょうぶ3組』。乙武さんの「密室」。
だいじょうぶ3組。たぶんまともな批評は出ない気がする。乙武さんが好きなひとをあまりよろこばそうとはしていないけど、たぶん乙武さんに偏見を抱いているひとはさらにその偏見を倍加しそうな気もする。ぼくはもともと乙武さんに対して無関心なのでとてもフラットにみることができて、連投のつづく廣木隆一監督に対しても過剰な思い入れはぬきに接することができて、状態のいい映画だなあと思いました。この良さはなかなかうまく表現できないのだけど、ニュートラルなんですよね。いろいろとつつける細部は盛りだくさんなので、生真面目な映画ファンたちが「映画的ではない」といい気分で切り捨てる可能性はかなりある。前半、音楽かなり鳴りまくるし、子役の芝居も、イラン映画とか大好きなひとびとは「不自然」とか思うんだろうな。でも、そういうのって、もう自分的にはどうでもよくなっていて、全体から感じられる肌触りみたいなものが信用できるなあと。運動会のシーンがとにかく素晴らしくて、室内で行なわれているんだけど、その「守られている」のに躍動している感じ、命が燃えてる感じが、乙武さんというひとが自己の内部に抱えているであろう「密室」とさり気なくリンクして、なにかがほどける気がした。乙武さんは役者ではないので、あの芝居についても違和感があるひとはあるだろうけど、彼のなかに内在しているであろう「密室」が、「教室」という特殊な状況下(この映画、屋外もいろいろ出てくるんだけど、そのすべてが「教室」であり、室内である、というふうに設定されていると思う)を選択したことに静かに結びついている。授業の映画だから、ことばにあふれているのだけど、実はメッセージはしていないし、なにかを断定はしてない。たぶん、そのあたりのことは見過ごされてしまうだろうなあと思うけれども、そういう「欲を欠いた」風情もよいと思うんですね。かなり観るひとを選ぶんで、おいそれと「おすすめ」なんて言えないけど。「だいじょうぶ」ということばをどう捉えるかはひとそれぞれ。ぼくにとっては少なくともエヴァQより100万倍「開かれた」映画に思えます。自分のなかに内在しているニュートラルな部分を見出すことができました。そういうのも映画的効果だと思っているので。
(2012.12.15)