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本を聴く。『小泉今日子書評集』

『小泉今日子書評集』
2015年

小泉今日子に命を救われたことがある。彼女の歌に、ではない。彼女の受け答えに、インタビュアーとして、混迷する精神を助けてもらった。いまもこの仕事をつづけていられるのは、あのときの彼女のおかげだと確信している。
このひとの、こころの声を知りたくて、この本を手にとった。読売新聞の読書委員として十年綴ってきた書評から97篇を選んだもの。四十代後半のひとりの女性としてのリアルな雑感が通奏低音としてある。終わらない哀しみと慎ましいよろこびとが地続きのまま、文章の「床」になっている。だが、それは自分語りのようでいて、そうではない。小泉今日子は、書評においては決して自己を「歌わない」。本の鼓動、いや、胎動のようなものに黙って耳をすましている。
本を読むのではなく「聴く」。「聴いている私」を明示することで、逆に黒子に徹する。律儀に、登場人物を紹介する。その愚直なまでに一途なまなざしが、書物の響きを伝えることになる。みだりに作者のことは語らない。あくまでも一冊に向き合い、そこでの体験をことばと響きあわせる。
読書体験とは、穏やかな振動であり、わたしたちは本という楽譜を前にした楽器なのだということが、これを読むとよくわかる。老化も記憶も孤独も、すべて楽器としての肉体に宿っている。小泉今日子は、楽器のフォルムを取り繕わない誠実な書き手だ。
あの日、彼女はインタビュー中、わたしが口にしたあることばを何度も反芻していた。帰り際もそうだった。うん、そうか、そうだよね、と言いながら、去っていった。あとで、関係者から、しばらく何度もそのことばを口にしていたと聞いた。
だれかの話をちゃんと「聴いて」、体験にする。彼女はそんなふうに本と付き合っているのだと思う。  

#小泉今日子  

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