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紅茶のような珈琲。女優キム・ミニについて。



『逃げた女』

公私にわたるパートナー。という紋切型の言い回しがあるが、女優キム・ミニと監督ホン・サンスの関係は、そのようなクリシェの枠内におさまるものではない。ふたりの私的な間柄は、不倫として糾弾された。
スキャンダルとなってからもホン・サンスの作品制作ペースはまったく衰えず、キム・ミニをキャストの中核に据え続けている。そのことが、既に世界的な映画作家であった彼に、想定外の新展開と円熟さえもたらしている。
醜聞によって葬り去られ、公私ともに滅していくカップルを、わたしたちは幾度も目にしてきた。しかし、彼女と彼は、そのような陳腐な歴史を淡々と乗り越えた。わたしは、そこに、芸術と芸術家の勝利を目撃した。

これは、ひとりの女性が、3人の知り合いと対話する映画だ。3つのカンバセーションがあるだけ、と言ってもいい。キム・ミニがホストとして、ひとりひとりゲストの許を訪れる旅、と呼ぶこともできる。
彼女は、同じことを言い続ける。だが、相手によって、その伝え方の響きが異なる。受動態の中に能動態があり、聴き手と語り手が同一人物内に混在していることが、静かに漏れ出る。
人間性が、画面に沁みていく。キム・ミニの現在の表現はそのようなもので、なめらかなのにザラザラしていて、揺らいでいるのに凛としているそのテクスチャは、ほんとうに美しい。

この世には、紅茶のような珈琲がある。そして、紅茶のようなワインもある。その正体を知らぬまま、ある飲み物を口にしていて、それが紅茶のようにも珈琲のようにもワインのようにも感じたときの、実に心地よい混乱と素敵な転倒を、この女優はいま、味合わせてくれる。

和んでもいいし、落ち着いてもいいし、酔ってもいい。キム・ミニは、ざわざわせざるを得ない時代を鎮めてくれる。佳い女優だ。

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