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女と男の最前線は、いつだって戦時中。荒井晴彦『この国の空』

 高峰秀子のような二階堂ふみ。森雅之のような長谷川博己。しかし荒井晴彦は成瀬巳喜男を模倣するわけではない。女と男の腐れ縁ではなく。何かが終わるとき何かが始まる。何かが始まるとき何かが終わる。刹那の覚悟こそをこの国の空に投下する。
 薬師丸ひろ子のような二階堂ふみ。松田優作のような長谷川博己。けれども荒井晴彦は根岸吉太郎を召喚するわけではない。女と男の身長差を超えた先にある聖なる何かを手の平で受けとめる。見上げる視線。落下する雨。ずぶ濡れのまなざしをこの国の空に差し出す。
 誰かが言った。ロケはセットのように。セットはロケのように。だが荒井晴彦は確信を持ってそれを乗り越える。セットはセットとして。ロケはロケとして。オープンセットはオープンセットとして。逃げも隠れもせずにその視界をさらす。開き直りではない。カモフラージュや見立てに組みしないだけだ。
 目の前にあるものを見つめよ。映画がそのように呼吸している。「戦地に行けば誰だって戦友になれる」。「いつ死ぬのかわからないんだから仲良くしよう」。木霊のような言葉たちは死者を弔い生者に捧げられている。
 古典こそが最前衛。この国の空。女と男の最前線はいつだって戦時中。1945年であろうと。2015年であろうと。

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