まくらがサゲに逢いにゆく
まくらが長いことで知られる。二席やる独演会で二席目がまくらだけで終わったのを観たことがある。いつも世間ではなく自分の話をする。極私的な話題には多く場合オチは与えられずフッと宙に舞ったかと思うと噺がはじまる。
この日は「やかんなめ」の基本設定である癪に則して自身が服用している薬について面白おかしく話した。客席に伝染する上機嫌。ところがあるとき天使と悪魔がすれ違うような沈黙が訪れる。鈍い戦慄。「薬のせいで朦朧としている」と呼び戻す小三治の振る舞いは冗談とも本気ともつかない。ただ七十三歳の高座が純粋無垢なる時間として丸まっている。
やかんを舐めると癪が治まる。そんな奥様と梅見に出かけたお付きの者が癪を起こした奥様を助けるためにつるっ禿の侍に懇願する。「あなた様の頭をやかんとして舐めさせてください」。御法度と共にある可笑しさ。無礼は承知の上。決死の願いを受け入れる侍。小三治は笑い転げる侍の従者を描写せずに存在させる。命がけの行為が「見えない」笑顔によって肯定される。こうした「魂の可視化」によって彼方に居る奥様の苦悶も鎮まるような芸。喜怒哀楽が等価のものとして横並びにある地平がすべてを赦す。あらゆることは一期一会の集積と持続だ。サゲの瞬間わたしたちは思い知る。
あの沈黙がこの噺を救いにやって来ていたことを。まくらがサゲに逢いにゆく。柳家小三治は落語家としての時間と落語としての時間を結び溶け合わせることで当たり前の日常を讃えてみせた。
2013年6月5日(水)午後6時開演
第364回国立名人会
柳家小三治「やかんなめ」
国立演芸場