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パフェの定義。

パフェとは何か。

一、
パフェは華美であってはならない。高貴でなくてはならない。いずれ朽ち果てるからこそ、煌めく品性を有していなければいけない。

二、
パフェは凝縮されていなければならない。つまり、洗練された単純さに到達していなければいけない。

三、
パフェは緊密かつ軽やかな関係性を構築していなければいけない。密室にあって、なお健やかでいる状態こそがパフェの美徳である。

四、
パフェは繊細でなければいけない。豪快な勧誘ではなく、神経を震わせるような誘惑でなければいけない。

五、
パフェの主役はフルーツではない。果実はあくまでも導入であって、本質ではない。単なる出発点であり、到達点は別なところにある。

六、
パフェの本道は苺パフェである。赤と白で構成されるものこそパフェの本来あるべき姿である。

七、
パフェは華奢でなければならない。ひとつの旅が終わったとき、繊細なさみしさが余韻とならなければいけない。

八、
パフェは躊躇と戸惑いを与えなければいけない。上質のためらいこそが、最良の愉悦を授けることを、その全体で証明しなければいけない。

九、
パフェは上昇ではなく降下である。登山家ではなく、潜水夫であらねばならない。クライマーの気概よりも、ダイバーの勇気が必要である。目指すべきは、頂ではなく、地上にあるひとつの場所である。

十、
パフェとは花である。咲いた花はやがて散る。そのことを知っていなければいけない。


資生堂パーラー サロン・ド・カフェ銀座本店の”美濃姫”プレミアムストロベリーパフェは、わたしが考えるパフェの概念にぴたりとあてはまる空前絶後の作品だ。
美濃姫はまるでオーディションで選ばれこれがデビュー作となる新人女優のように初々しい。金粉はそんな彼女に与えられた小さな王冠である。こうした装飾過多に陥らないセンスがすべてを司っている。新人女優を支えるのは、鋭敏な、辣腕な、円熟した、老練な芸達者たち。彼ら、彼女らの技量、その決して馴れ合わない清潔なたたずまいが、まみれてなお光り輝くパフェの本性をあきらかにする。クリーム、苺アイスクリーム、バニラアイスクリーム、苺ソース、苺ブロックなどのどれひとつとして無駄なものはそこに存在せず、密接でありながら独立したたたずまいで、それぞれがそれぞれの美しさのまま、決して濁らず驕らず媚びず、ただ自分自身としてそこにいる。マリアージュではなく、リレー。そのバトンタッチの呼吸が見事だから、わたしたちはパフェだけが奏でることができるその演奏に我を忘れることができる。甘さに没入するのではなく、つねに覚醒させられるような、フレッシュでクリアネスな世界。それこそが、ケーキをはじめとする他の菓子たちとパフェとを峻別する、決定的な差異である。
そのとき、珈琲も紅茶ももはや必要ではない。
わたしたちは、このパフェを前にして、ただただ、映画監督のように見つめ、オーケストラの指揮者のように全身を駆動させながら、すべてを享受するばかりなのである。

(2013.3月執筆)

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