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亀梨和也という怪物が、映画を監禁する。

アイデンティティと多様性が互いを刺し違える狂気の時代に、三池崇史は本作を突き付ける。

『悪の教典』以来の傑作と呼ぶべき『怪物の木こり』の尋常ならざるクオリティは、亀梨和也という怪物が一手に支えている。

キャスト全員が抑制した芝居となっており、それは三池演出による統制もさることながら、亀梨和也の非凡な存在感に、共演した者すべてが感染した結果と言えるかもしれない。

亀梨和也の演技はいつだって、わたしたちに【誰かが誰かを演じるとは、どういうことなのか?】という命題を示してくれるが、その深遠さが『怪物の木こり』では必然性を伴って、地球でただ一つの極みへと到達している。

亀梨でなければ表現できぬ人間感情の局所と淵というものが有る。本作は、それをかなりの倍率で拡大して見せる。これは、三池にしかできぬ荒技であり、【三池崇史による亀梨和也論】と言い切って過言ではない。

物語は明快であり、混乱する要素は何もない。

だが、亀梨和也の演技は、筋の通ったストーリーに一瞬たりとも従属することがなく、にんげんという生きものの【不可解さと可能性】を同時に表現する。わたしたちは、金縛りに遭ったかのように、身動きがとれなくなり、ただただ彼を凝視することになる。

映画は、監禁の芸術である。わたしたちは暗闇の中で、ひたすら亀梨和也の眼球と対峙する。

なんという愉悦!

名付けることのできない表情が、幾度も出現する。その記憶は、あなたの脳内にミルフィーユのように織り重なり、亀梨和也という怪物を永遠に前頭葉に貼り付けることになる。

全集中の構えで、臨め!!

12月1日公開。

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