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意味を意味として。無意味を無意味として。伊勢谷友介『セイジ-陸の魚-』

「セイジ 陸の魚」を観る。あの「カクト」以来となる伊勢谷友介監督の長編第二作。まず、のびやかな筆致のなかにサム・シェパード的風土を隠し持つ悠々たる文体に、八年という歳月の豊かさと喪失を同時に感じる。しかしながら本作がほんとうにわたしたちに語りかけてくるものは、そのような映画的文脈に属するものではない。
言葉にも映像にも意味というものがある。混同されがちだが、意味とは説明でもなければ、メッセージでもない。意味を意味として奪還するための、慎ましくも勇敢な軌跡がここにはある。
意味を意味として。無意味を無意味として。RCサクセションの忌野清志郎も、ボ・ガンボスのどんとも、フィッシュマンズの佐藤伸治も、そのように伝えることができた歌い手だった。
伊勢谷友介には、いまは亡き彼らと同等の誠実さを感じる。
信じているものを有している表現者は、誤解をおそれない。
浅はかな勝利や、崇高な敗北など、さまざまなことを考えた。そして、きちんと挫折することがなかった己の青春を恥じたのだった。

2011年11月執筆。

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