映画ビリギャルについて私が知っている二、三の事柄

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映画ビリギャルは、合格発表がインターネットでおこなわれる時代における手紙の意味を、映画的に追求している。時間の在り方がかつてとは違うのだから、あたらしい情緒をうみだすのは当然、と言わんばかりの呆気なさで。非常に自然なのですぐには気がつかなかったが、これは偉大な発見だと思う。時間差の反復。

2

時間差でなにかがやってくるというのは、それだけ時間がかかっているということであり、それはつまり、もはや宇宙では消滅している星のひかりをわたしたちが見ている、ということとも確実にリンクしている。
ベタなフォームと、わかりやすい台詞を連打しながら、映画ビリギャルは、そのような情緒をしのびこませている。おそるべし。

3

映画ビリギャルの有村架純と伊藤淳史はハイタッチを繰り返す。あまり深刻に語りあったりはしない。ふたりにとってはハイタッチが最大の交流であり、それは一瞬にしてなくなるものでもある。
この映画はハイタッチのスピードですべてを紡ぎながら、けれども、ハイタッチの積み重ねこそが、手紙という、孤独で親密な時空を育んでいくのだという真実をものがたる。
すばらしく日本的な映画であると思う。

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