わたしたちのエロス。
大島弓子が1988年に描いた「夏の夜の獏」のなかに、次のようなフレーズがある。
「あたしね パフェつくるの得意よ 自家製パフェ
大きなガラスの器に 最初に季節の果物を入れて 次につくっておいたシロップをそそぐの その上にバニラアイスを すきなだけ入れて ギュッとおす ギュッとおすとシロップが 上ににじみ上がって きれいなの その上にまた 季節のフルーツ その上にまた アイスクリーム その上に 生クリームを たーっぷり かけて できあがり
お店のより 数段おいしいの こんどうちに たべにきて」
わたしにとって最高のパフェはこの漫画のなかにある。
大学生のころ、パフェにはまったことがある。
チョコがだめなので、もっぱら苺かフルーツだったが、こんなふうなパフェには、その後東京でも出逢ったことはない。
自分でつくればいいのかもしれないが、大切にしてきた理想を汚してしまうのは目に見えている。
だれか、料理好き、お菓子づくり好きの素敵な女の子にお願いできればいいのかもしれないが、生憎そんな知り合いもいない。
成城学園前で仕事の帰り。ひとりで立ち寄る。
イートインみたいなカウンター。パフェにふさわしい、明るさ。
パフェは、マンゴーとフルーツだけ。
ピントのあまいメニュー写真を見るかぎり、旬のフルーツパフェは「昼寝」しているみたいな状態で好きになれなかったので、二種のマンゴーで勝負するらしいパフェにする。
役者顔のご主人。デビッド伊東がいい感じで枯れたような。
マンゴーをスライスする手。衣服を、肌を、脱がしていくようなナイフ。
スピーディではない。スロウでもない。
つつつつつ、と追い込んでいくその速度に、すこやかな官能がある。
マンゴーをしぼる手。その先はよく見えないから、想像力を刺激される。
うしろあたまのきれいな女性の髪が、風になびいているのを、信号を待ちながら、ぼんやり眺めているような。
盛りつけに色気はない。余計なものがふたつほど載っている。
土台となるのは、メキシコ産マンゴーをしぼったもの。
どろどろ、ではなく、とろとろ。
濃厚ではあるが、陶酔するような甘さや旨味があるわけではない。
その上に、生クリーム。
これはかなり上質。
だが、あたまのいい優等生な、物足りなさもある。
ややお高くとまっていて、打ち解けるまで、少し時間がかかりそうな学級委員かな。
大きすぎず、小さすぎず。
適度にカッティングされたフィリピン産マンゴーは、さわやかで、味わいというよりは、
ぬめりがうるさくない、するるとした舌触り、のどごしなどを楽しめばそれでよいもの。
アイスは、バニラにやや癖があるものの、レベルは高め。
ただ、パフェに合わせるなら、もう少し、庶民派でもいいのでは、
などと思ったりもする。
しかし、こんなふうにパフェのパーツをばらばらに認識するほど野暮なこともない。
パフェは、まみれてナンボである。
いつ、どの時点で、それぞれをまみれさせるのか、そこに
慎ましくもヴィヴィッドなスリルがあるのだ。
クリームソーダは、視覚的に汚れていく気がして好きになれないのに、
パフェだと、くんずほぐれつな状態に追い込んでいくことに、ちょっぴり危険なときめきが訪れるのはなぜだろう。
こちらの神経に入り込んできて、あれこれいじられ、蠢く快感が生まれるような、すごいパフェではない。
ただ、いろいろな感覚はあった。
初めて手をつないだときとか。
初めて目を見つめたときとか。
初めて声を聴いたときとか。
高望みするのではなく、
すでに自分のなかにあるなにかを
「ふりかえる」ためのパフェ。
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