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人生に結論はない。だから豊かなのだ。前田司郎『ジ、エクストリーム、スキヤキ』

『ジ、エクストリーム、スキヤキ』

 

 人間には五感以外の感覚がある。そのことに気づかされる映画である。

 おそらくそれは記憶と無関係ではないが所謂郷愁と呼ばれるものとは違っている。忘れない。あるいは憶えている。それはよみがえるのではなく現前にあるこの肉体にあらかじめ埋め込まれていたということなのではないか。もうひとつ別の目と耳と舌と鼻と皮膚がわたしたちには内蔵されていてそこから取り出している気にさせられる。脳よりは曖昧でこころよりは明瞭な作用がもたらされる。

 難解な作品ではない。単純である。青年ふたりが15年ぶりに再会し彼らの関係者である女性ふたりも含めて4人の小旅行が始まる。スキヤキを食べる。そんなとりあえずの目的はあるがそれ以外は行き当たりばったりである。行き当たりばったりとはすべてを選択するということなのか。それとも何も選択しないということなのか。ただ右の道を往くにせよ左の道を往くにせよそれらは同じ細胞の一部でありそれぞれの血管には同一の血が流れている。そのような大らかな面持ちでいられるほど何でもないことが豊かに感じられる作りになっている。

 15年間逢わなかったことには理由がある。しかしその理由については決して話さない。映画もそれを語らない。胸の内に何かを仕舞いながら何食わぬ顔つきでやりとりすることによって時空の粒子が色づき息づいていく。秘密に価値があるわけではない。傷の共有も空白への共感も別に要らない。遠回りでも何処にも辿り着かなくたって構わない。問いもなければ答えもない。人生に結論はない。だから豊かなのだ。

 人間には五感以外の感覚がある。わたしたちにはどうやら可能性があるらしい。映画が終わってしばらくして降りてくるものがある。

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