恋愛とその一連のプロセスについて
頭で考えたことをそのまま文字に起こしているので、
私のnoteは読みづらいです。
私の脳内を覗いていると思って読んでください。
今日は長いです。
人を好きになるとは
「まずは好きな人を作ろう」と言われた。
そこで私の心に一つの疑問が浮かんだ。
好きな人が「できる」というなら分かるが、「作る」とはこれ如何に。
好きな人というのは、たまたま目の前に現れて、そこから徐々に深い関係へ
といった類のものだと、昔から思っている。
仮に「作る」がオーソドックスだとしたら、街中はナンパしまくる男と女で溢れかえるだろう。
それが現在無いということは、まさにそういうことで、
目の前に思いがけず現れたかっこいい人やあるいはかわいい人、
自分が直感で好意を感じた人にアプローチをし、そこから
恋愛へと発展していくのではないか。
ここで言いたいのは、私にとって恋人とは「作るもの」ではなく、
目の前に現れるのを「待つ」ものだということだ。
(非常におこがましいが。)
待つ
こういうことを言うと必ず、
「待ってるだけじゃダメだ‼行動しないと!!」
と言ってくる人がいる。
確かに、世の中のほとんどのことは自ら動かないと
解決しないことで溢れかえっている。
ただ、恋愛はどうだろうか。
皆さんが「恋愛」もしくは恋愛に至る直前の行動について考える時、
「片思い」や「告白」というシチュエーションが少なからず出てくるわけで、
私は基本的に、それを「待つ」立場にいる。
(非常におこがましいが)
理由はただ一つで、「失敗するのが怖いから」だ。
(自分からガシガシ動ける人は別)
「うるせぇ男のくせに。ガツンとぶつかれ」とかいう昭和気質な人は
もう少し読んでください。
勉強や日々の些細なことに失敗したとしても、あまりダメージは負わない。
自分の人生にとって大して重要な事柄ではないから。
しかし恋愛は違う。
今後自分と付き合っていくうえで恐らく強く記憶に残るものであり、
それに費やす時間の長さを考えてみて、それが失敗したときのダメージは
少ないものではない。
失敗したときのダメージの大きさは、その思いが大きければ大きいほど
比例して大きくなっていく。
また、異性と付き合うというのは、自分のメンタルや気持ち、
特に生活習慣などを相手に大きく左右されるということでもあり、
その人が自分の思っていたような人間ではなかった場合、
自分を犠牲にして相手に合わせるという現象が発生するわけである。
これに関しては、相手としっかり寄り添い合うということも大事ではあるが、当人同士で与え合う影響というのは計り知れない。
まさに、それが原因ですれ違いなどが起こるわけで。
とにかく、上にあげた2つが自分の人生にとって重要だと思っていて、
それで失敗するのが怖い。ということです。
あとは、「不幸な人を増やしたくない」ということ。
自分から動いて下手に当たると相手を不幸にしてしまうから。
それが怖いというのもあります。
だからこそ「待つ」という行為が私の中で大切になってきたわけです。
失敗したくない。失敗しなくても、
私の行動によって相手を不幸にしてしまうかもしれない。
相手がこちらに来るのを待ち(おこがましいが)、
吟味したうえで(おこがましいが)、
少しずつ寄り添い支えあって行く。
というのが私の空虚な理想である。
これまでは好きな人がいない場合の話。
ただ、仮に私に好きな人がいようと、「待つ」というスタンスは
自分の中では変わらないのだと思う。
思いを伝えられることなく離れることよりも、
上にあげた事柄の方が自分にとってダメージが大きいし、
自分から進んで思いを伝え、あっけなく玉砕するというのは、
あまりにもダメージが大きすぎる。
そういう訳で、恋人ができないのだ。
私を好きになる人
私に好意を寄せる人というのは限りなく少ないと思っている。
多分、私に対して好意を寄せる人というのは、変な人か、
あるいは恐れを知らない人なのかもしれない。
こんな変態を好きになるなんて、よほど変な人なんだなと感じるし、
なんかすごく、後悔だけはしないでくれと思う。
好意を寄せてくれること自体はすごく嬉しいし歓迎するのだけど。
付き合ったとして
一度経験してみて分かったことがある。
過干渉は非常に良くない。
相手に過剰に干渉することで相手が疲れてしまう。
確かに、恋人からの連絡以上にうれしいものはない。
ただあまりにも多いと冷めてしまうぽいのだ。(憶測)
そこは塩梅が難しくて、タイミングというものがある。
また、付き合ったとして、結末が
「別れる」か「結婚して一生添い遂げる」の二つしかないのだ。
これが恋愛の嫌なところである。
0か100しかない。
自分がどれだけ大切にしても、どれだけ愛そうとも、
相手の気持ちひとつで未来は変わり、抜け出せない闇に
放り込まれるのだ。
逆も然り。
一度経験してみて、こういうことなのだと
身に染みて感じた。
相手の気持ち次第で未来は変わるし、
私の心にももれなく大きな影響を受ける。
長期間付き合った相手を「振る」ということ
私には到底できないことだと思う。
いろんなことを毎日しゃべって、いろんなことを共有して、
家族の次かそれと同じくらいの存在だった人と恋愛関係を断ち、
他人同士という存在になること。
私の場合、一緒にいて毎日話してくれるだけで嬉しいし、
それ以上のことはあまり望まない。
(他人から見たらどうなのかは知らないけど)
それ故に自分から「振る」という決断に至るのは考えることすら出来ない。
相手があまりにも酷いもので耐えかねるという場合は
この限りではないが、
よほどのことがない限りは、自分から進んで相手を振ることはないと思う。
そもそも、仮に自分から思いを伝えて交際に至ったのならば、
思いを伝えた側から振るというのは非常に無責任だし、相手の気持ちを
軽んじる事になる。
相手のことを、簡単に深く傷つけることになりえるし、
許されないことだと思っている。
自分が恋愛をする上で、そういうことはしないように心掛けているし、
これからも心掛けたいことだと思っている。
まぁあくまでも振るのは当人の自由だが。
現在時刻AM2:40
ここまで思うままに書き進めてきて、キーボードを打つ手が痛くなってきた
恋愛は難しい。
どんな教科やテストよりも難解で答えがたくさんあって、
理不尽なこともあって、
それが面白いと思う人もいれば、苦しいと思う人もいて。
私は圧倒的に苦しいほうなのだが。
締めようとしたら言葉が急に出てこなくなった。
他人を愛し、寄り添い合い、恋愛をするというのは、
それすなわち
天国か地獄か、どちらに行くか分からない片道切符を買うということなのかもしれない。
それを理解したうえでその片道切符を買わなければ、
とんでもない結末が待っていても文句を言うことはできない。
逆に良い結末が待っていても、理不尽なことは
たくさんあるわけで。
結局はどちらを選ぶにもそれなりの覚悟が必要ということ。
自分にそれだけの覚悟はあるのだろうか。
相手を不幸にしないために、自分を地獄に堕とさないために、
できることを精一杯頑張って初めて、
私は本当の幸せを手に入れることができるのだと思う。
よく分からない結末になった。
2969字