ベランダ「巨大魚の夢」
表題の曲。
とても好きで、Apple Musicが私のためにまとめてくれたプレイリストによると、2022年一番よく聴いているらしい。この曲との出会いは6月だから、登り詰め方がすごい。それにこの曲は8分もあるのに、だ。
だ、けれども、この曲について、私は何も分かっていない気がする。
間奏が長くて多いから、難解な歌詞がより一層掴みどころなくなっている。
そもそも歌詞は配信されていないので、書き起こした。インディーズバンドを聴くって、こういうことなのか、と、レコードに針を落とすような気持ちで、歌に合わせて指を動かした。ゆったりしているから、止めなくても書き起こすことができる。その小さな幸せが満ち満ちていく。間奏の猶予が私に平穏を与える。
ほとんど脳を通さずに、耳から司令を受けた私の指の先で、日本語が見たことのないつながりを見せていた。
真夜中甘いオレンジの果肉をほおばる
体の一部にする みたいに
一つのアイデア頭にほのめく
あくびの間に消える
自動販売機の光
めざしている子ども
こわい気持ち
巨大魚の夢
船もないのに湖の上で本を書く
恐ろしい夢
人間のまま馬鹿になる
神様
逃げ出す彼らの内緒の話は教えてくれなくていい
それでも忘れては増える思い出
畑の肥やしにする
自動販売機の光
満月よりも弱い
その光
自動販売機の光
めざしている子ども
こわい気持ち
巨大魚の夢
船もないのに湖の上で本を書く
恐ろしい夢
人間のまま馬鹿になる
終盤コーラスで豪華になるんだけれども、それでもこの曲の持つ静けさみたいなものは失われない。
そう、この曲、静かなのだ。音数は少なくないし、テンポも遅くないのに、なぜか静かで、それでいて明るい。夜、帰り道に聴くのに一番向いている。はやく帰ろう、と急かすのでも、感傷的にさせるのでもない。ただただ、ありのままの帰り道を充実させる。私は湖の上で本を書いているのだが、それが夢だと分かっている。私はファンタジーの中にいるが、ファンタジーの中にいる自分を、現実というこの世界から見つめている。夢想する自分の足が地についていることを、肯定しながら歩く。
じっさいこんなことを考えながら聴いているわけではないのだが、感じていることを言語化するならばこんな具合になりそうである。
あまり勝手な解釈を説明するのは野暮だろうが、「神様 逃げ出す彼らの内緒の話は教えてくれなくていい」というフレーズは、2番Aメロの持つすごく目立つ/すごく目立たないという2択のうち前者の運命を背負っている(長い間奏が終わったあとでひときわ目立つのだ)のに加えて、「巨大魚」という初めて聞く生命体の性質を説明している唯一にさえ思われる。
巨大魚は夢を見ている。それは、優しい。臆病でやわらかで、そして静かだ。
もしかすると、自販機の光/月の対比が何かの暗示だったりとか、もっと高次元の話をしているのかもしれない。だけどそれにしては巨大魚という言葉にインパクトがありすぎる。
言葉のまま、巨大な魚を想像していいはずだ。
そうして巨大魚になって夢を見ていたら、「人間のまま馬鹿になる」と言われて、私が人間であることを思い出すのだけれども、人間だからといって、あわててどうこうしなくていい。人間のまま、現実のまま、夢を見ていい。
そう言われている気がするのである。
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