卒業

無為だったなぁ。

大学4年間。
何も成し遂げなかったし、何も始めなかった。
無為で、馬鹿で、どうしようもなく尊かった。

今までのように、結果の出ないことに打ち込んだり、収入以上の消費をしたりして許される身分には、二度と戻れないんだと思う。ついに、物心ついてから常に自分を説明してくれていた「学生」という身分から卒業するのだ。もしまた大学に戻ったとしても、今と同じ意味での「学生」になることは難しいだろう。

いくら無為とは言っても大学では勉強をしたし、単位もたくさんとったし、図書室には入り浸った。
行動範囲がぐんぐん広くなって、世界を知る喜びや、文章を書く喜びを覚えた。しかしこれは快楽であり、一銭にもならない、無責任な娯楽にすぎない。
好きなものだけを追いかけて、自分と似ているものに惹かれた。それはこの上ない自己陶酔であり、自己表現でもあったし、見栄を張ることでも、見栄を捨てることでもあった。
つつがなく月日が過ぎ、日銭と旅費だけを稼いでただ単純に「楽しいから」という理由だけで居酒屋に行ったりBBQをしたり花火をしたりボドゲをしたりすることが、なんて無意味で、なんてつまらなく、なんて有り難く尊かったのか、

この4年間は無為ではあったが、無目的ではなかったから、そして無期限ではなかったから、無意味ではなくなった。

「社会人」と呼ばれる社会の一部になることに期待と安心をしている。その無期限性に不安も覚えるし、目的の即物性に絶望感もある。きっと、中高の濃密な6年間を振り返って鼓舞される時もあれば、この無為な4年間を人生の引き出しに入れておけることが私をなんとなく頑張れる気分にさせてくれる時もあるんだろうと、予感している。



3/15 電車の中で泣きながら打った日記。

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