予兆 と 半移住生活のはじまり
2020年の終わりに向けて、すごいスピードで回収作業を行なっている。
まわりに散らばっていた、あらゆるものの可能性を拾い集めて形づくっているよう。ぼんやりと感じていた予兆が、「田舎への移住」という形で現実化していっている。
この体験を少しずつ書き残していこうと思う。
::: 京都市内にある里山 「 京北 」
現在、私は京都の里山 ( 結構な田舎 ) と実家のある京都市内の中心地を行き来する、「半移住生活」を送っている。
この生活をはじめたのは今年10月初旬。まだ1ヶ月も経っていないのかと、自身の状況や展開の速さに驚きつつも静観している。毎日がたのしい。
半移住先は「京北」。
「けいほく」と、読みます。北京じゃないよ。
一応、京都市右京区に位置する場所で、市内の中心地からは車で1時間ほど。「かやぶきの里」で有名な美山の手前にある地域。
地域にはコンビニが1軒 (( すごいこと ))、最寄りのスーパーまでは車で10分ほど。拠点としている古民家のまわりに徒歩で行ける商店はない。車ないとたぶん孤立します。
家の庭には鹿が訪問してくるし、畑は鹿のサラダバー状態。外出時にぼんやりしていたらスマホのデータ容量がすごい勢いで減る。下水システムは浄化槽というやつだ。朝はニワトリの鳴き声で目覚める。
調子が良ければ、わたしの実家からは車で40分ほどで到着するけれど、同じ市内とは思えない景色が広がる。眼前には山々、今の季節は方々でススキがきらきらと金色に輝く美しい光景が広がる。
こんなかんじ!
(( ススキきらきらしてないな ))
美しい〜〜
今、私の1番の贅沢は、ほぼ毎朝畑へ向かう車中から見る景色。
京都の中心地で生まれ育ち、10年間の東京生活を終えた私にとってみると、予想外の状況。
::: ああ、やっぱりね
とは言え 一方では、ごく自然な流れでもあり「ああ、やっぱりね」という感覚も持っている。
今春のコロナショックを全身で受け止めて、泡のように弾けた私は生活が激変した。
昨年末から「やっぱりこれからはパラレルキャリアよね!」なーんて一丁前に考えて、今年から3つの仕事を掛け持ちしていた。こんな感じ↓
1、名ばかりの個人事業(着物の染色関連)
2、官公庁の事務
3、雑貨の接客販売
「3つあれば安心あんしん」
そう思っていたのだが、見事にコロナショックで3つともダメになった。
(( 3つとも関連性のないお仕事なのに!))
崩れ落ちる我が家を、外から冷静に眺めているような気持ちと、そのお家の中で もがき苦しむような気持ちの往復を繰り返していた。
さすがに精神的に参ってしまい、塞ぎ込む日々が続いた。THE 廃人。
アップダウンを繰り返し、辿り着いた先は奈良県吉野町。修験道のお山だ。吉野のお話はまた今度にしよう。(( 写真は吉野 ))
私の中の小さな宇宙で創造と破壊を繰り返した結果、心から求めるものだけが残った。自然界への愛だとか、いわゆる常識に縛られない自由な生き方とか、具体的に挙げるとキリがないほどに。
とにかく全てが自然な流れで進んでいると感じるのです。
「ああ、やっぱりね」が、ぴったりの言葉。
::: たくさんの可能性
いろいろなものから解放されて、今は目前にたくさんの可能性が転がっている。
自然の多い場所にいると、たくさん着込んでいた不要な観念をどんどんと脱ぎ捨てて身軽になっていく。
ある程度、身軽になったからこの地に辿り着いた、とも言える。
ここ4〜5年の流れからすると、とても自然なことだ。
植物や生物が好きな私にとって、里山はお宝の山みたいな場所だ。
ここのところ、心奪われてたまらない存在「粘菌」をはじめ、小さくて大きな世界も足元にたくさん広がっている。
市内では もはや満たせなくなった、自然観察および植物採集欲を私は京北で満たしていくのだろうな。
わくわく。
今日はこれくらいで。
どうやって京北に辿り着いたのかは、また今度書こう。
散文が続くと思われますが、これからどうぞよろしくお願いします*
(( とりあえず普通免許とらなくては ))