ここへくるまで②(拒食症克服まで)
そのころの私は、筋肉もなくて、歩くことも精一杯。。。。。。。しかし、まだ自分が病気だなんて思ってなかった。ただ、体が重くて、歩いても前に進まない感覚。歩いていても何もないのに何度も倒れて。1日に階段は1度しか往復もできない。
それが足がどこか悪いんだと思い込み病院に行くこともあった。月にあるものも止まった。これも病院に行った。体重が減っているから、体もだるいし、月にあるものが止まったと知った。遅いかもしれないが、自分が痩せているなんて、一つも思ったことはなかった。
むしろ、太っていると思っていた。
きっと心配されることも嬉しかったんだと思う。
仕事は、親のところにいたから何とか続けられた。配送の仕事をしていたが、少しも重いものが持てなくて、他の人に任せて、事務所でできることをした。普通の会社だと、辞めなければならなかっただろう。
のちにみんなの話を聞いていると、あの頃は声もかけられなかった。姿が痛々しくて、痩せてるよ、太ったほうが良いなんて言えなかったとみんな言う。いつも下を向いていたと。
自分自身では、カラ元気ができていると思っていたし、いつも笑っていたと思っていた。
ただ、痩せることが、痩せていることがすべてだった。。。。。。。。。。何を言っても、聞き入れることはなかったと、親に聞いた。
淡々と過ぎる毎日を送っていたが、仕事を終え、帰る場所、そこに行かなければならないことが辛かった。
怒られてしまう恐怖、何か言われてしまう恐怖、
夕飯を作っておかなければ怒られるんじゃないかという恐怖
必ずきちんと作っていたが、味はしなかった。
「食べろ。がりがりで気持ち悪い」ほかにも書けないほど、言われてはいたが、自分が悪いんだと思っていた。これが、モラハラなんだと気づくことができなかった。そこに居ると、声が出なくなっていた。声の出し方もわからなくなっていた。
それでも、言われていることすべて自分が悪いんだと、思っていた。
それが普通でないことを気づいたきっかけは、友人がくれた。
ある日、久しぶりに友人に会うことができた。びっくりしていた。。。。。骨と皮になって、普通に笑えていなかっただろう私を見て驚くと同時に、真剣に話を聞いてくれた。今、起きていること。日々、言われていること。すべてを話した。。。。。。。。
「どうして宮子がそんなことを言われないといけないの」と、、、、、、、泣いてくれた。それは普通じゃない、と。
その時初めて、自分はすごくひどいことを言われているんだと気づいた。テレビで見るようなことが自分に起こっていたんだと知った。
翌日、すべてを母に話した。
大泣きをした母を見て、相当心配をさせていたことにようやく気付いた。どうして痩せてしまったのか。痩せていく娘。でも聞くことができない。何と声をかけていいかわからなかったと。
「話をしてくれてよかった。あなたがこのまま死んでしまうのではないかと本当に心配して眠れなかった」と言われて、私も泣いた。二人で泣いた。
翌日、会社に行くと、父に呼ばれた。
「このままではお前が死んでしまう。帰ってこい」
大泣きした。こんなに心配させてしまったこと。ずっと気にかけてくれていたこと、本当に申し訳ないと同時に、帰れることが本当にうれしかった。。言葉の数は少ない父だが、その一言一言が、おおきかった。その日、すべての自分の荷物を実家に移した。
すんなりと、離婚は決まらなかったが、1年後、きれいに離婚が決まる。。本当に親に感謝した。決まった瞬間、また泣いた。もう、涙は枯れた、と言うくらい。
これから前向きに生きていこう。
新しい人生を。
ここから、逃げずに、拒食症と向き合うことにした。
自分が拒食症なんだと自覚して。
実家からまた会社へ通う日々が続いた。1日も仕事は休まなかった。休むと、負けた気分がするから。しかし、なかなか拒食症は治らなかった。この時初めて、難病指定されていると知った。
毎日同じ時間に起きて、エネルギーを削るようにあるいた。夜もまだ明けてないときに歩いて、帰宅すると、家族の朝食を作った。自分はお味噌汁を一口飲んだ。仕事は数か月同じような状態が続いていた。
鬱状態は治っていた。
あの時を知っている人に話を聞くと、こんなに明るい宮子さんがあんな状態にまでなるなんて、、、と言われた。
両親、兄弟、みんなに感謝の気持ちが止まらなかった。
気持ちは前向き、だが、体重は全く増えることはなかった。