流星群
流星群
「さむい。」
妹が呟く。僕らは毛糸の帽子と毛糸のマフラーと頑丈なブーツと水を通さない雪国様の手袋をしていた。勿論コートの裏側はもこもことして暖かい。
それでも隙間から入り込んでくる突き刺すような寒い風は防ぐことが出来ない。僕らはお互いに頬を赤く染め、肩に雪を積もらせて歩いていた。
積もったばかりの雪のキャンパスに、長い一本の足跡を二人で描いた。
帰る前の日の晩、妹は僕に星をみようと誘っってきた。
じいちゃんは大きな懐中電灯を用意してくれた。それからいつも自分が被っている動物の毛皮で出来た帽子をかぶせてくれた。耳までとても暖かい。
「いつもの場所か?」
じいちゃんが妹のコートのボタンを留めながら聞く。
「勿論。」
妹が元気よく答えた。
そして僕らは、この真っ白で大きなキャンパスの中にいる。
僕は妹の後ろをひたすら歩く。それは道にもなっていない道だった。妹がかき分けた雪が、僕らの両端にたまっている。滑らかな斜面を登っていく。
妹は紺色のダッフルコートを着ている。とても楽しそうだった。
「ここではね、目の端から端までの全てが星で埋まるの。そういう風に見えるの。」
妹は嬉しそうに笑った。
「すごく綺麗なんだよ。まるで自分が宇宙の中の一部になったみたいなの。溶けているように感じるの。」
二人で白い息を吐く。
「ここは寒いし、生活していくのはとても大変なのだけど、私はとてもここが好き。」
妹は空を見上げながら言った。
「着いたよ。」
なだらかな斜面を登りきった先に、僕らの目的地はあった。
それは小高い丘の上だった。妹の見つめている先を、僕も見つめる。
それはとてもたくさんの光だった。大きな光と小さな光が重なり合い、更に大きな光となる。それはオレンジだったり金色だったり深い海の色で光り輝いている。それが僕の見ている世界全体を覆い、僕の目はたくさんの光に包まれている。
いくつかの星が移動をし移動した先の星がまた別の場所に移動する。
それは分裂し、自然と連鎖のように続いていく。
とても懐かしく、胸を締め付ける光景だった。
妹が静かに話し始めた。
「私はこの星空をみると、とても懐かしい気持ちになるの。それはね。初めてここの風景を見たときに思った気持ちと変わらない。ああ、自分はここから来たんだろうなってぼんやり思うの。
多分私はここで産まれたの。」
妹はとても真剣な顔をしていた。
「目を閉じて深く深く自分の中にもぐると、ここがある。海の底に星空が広がっているの。その時私は星空の海を漂っている。右手だけが温かく、私は全く怖くないわ。その内に星は移動を始めるの。
私の横を横切って通り過ぎていく。たくさんあった星全てがいなくなると、そこは真っ暗な海の底に戻る。けれど右手だけは熱を失わない。その熱を胸に抱えてもう一度目をあけると、そこはここになっている。」
妹はため息をついた。
「多分、夢の話なんだと思う。けれど夢の話ではないと思うの。確かに私は海の底で、誰かの熱を感じていた。それはとても優しくとても心強い。私を肯定して包み込んでくれる光なのよ。」
妹は僕を見た。
「それはきっと兄さんなんだと思う。」
妹の頬と鼻は赤い。手袋を取って、赤い鼻を掻いた。
「私達は同じ場所でこれを見て生まれたのね。
産まれるもっともっと前の記憶、私達が生きていない時の出来事。
今生きている人間が、誰も存在していない時間の話なの。」
「僕もこれを見たことがあるよ。」
僕は自然と答えた。口から言葉がとつとつとこぼれ落ちた。
「私達は、どうして一つに産まれてこなかったのかな。」
妹は搾り出すように言った。
「きっとあの時、私達は一つだった。
それが流れ星のように、分裂して流されてしまったの。」
「どうして私達は、一つに産まれてこなかったんだろう。」
どうしてかなあ、という妹の呟きが、僕の耳の奥に反響してこだまする。
その、痛々しいほどの切ない感情が僕に伝わる。
それはとても悲しい事実だった。
妹の眼差しは、真っ直ぐに星空を見つめていた。
星はただただ光り輝き続ける。その美しい姿を一瞬でも留めるように、目の中から入り込み心臓の近くで永遠と輝き続ける。僕らは必ず、それぞれに自分だけの星を持っている。
妹はその星をとても強く感じることが出来る。
たくさんの人が集まり、街を作り、その中ではたくさんの星が輝く。
それは天の川のように流れて大きな川の水流を作る。
それは、流星群なのだ。
人は、流星群の一部なのだ。
妹は、それを他の人よりも強く感じることが出来る。
ただそれだけのことだ。
じいちゃんからもらったお土産で、僕らの荷物はパンパンになった。その中身を一つ一つ確認して妹はとても満足そうな顔をした。随分と幼い顔に見えた。
帰りの電車の中で、僕らは通ってきた駅の名前を覚えるゲームをした。僕は一度聞いたら順序までスラスラと覚えてしまったので、妹はとても驚いた顔をした。ゲームに負けても楽しそうに笑っていた。
母さんは僕らを暖かく迎えてくれた。勿論、家の近くでは僕らの格好は厚すぎなので、中は汗だくだった。母さんは笑いながらハグをしてくれた。シャンプーの香りが、家だということを思い起こさせる。
妹はその一ヵ月後に家を出た。
桜が咲いていた。じゃあね、と言って手を振った妹の顔を僕は今も覚えている。
桜の花びらが髪の毛にかかり、それを取ろうとした妹の、すっと別人になった顔を、僕は今でも世界で一番美しいものだと思っている。
それから、暫くたって母さんは好きな人が出来た。
そして僕は家を出た。そしてこの、海の見える家に来たのだ。
何も悲しいことはない。母さんはたくさんの手紙を書いてくれた。
僕の好きなものをたくさん送ってくれた。僕の部屋は、好きなもので作られ、僕はとても幸せだったのだ。それはとても暖かい時間だった。
妹も時々、僕に手紙をくれた。それはとても短く、簡潔なものだった。
僕はそれでも嬉しかった。一枚一枚を伸ばし、クッキーの缶の中に大切にしまっている。
そして、ある日妹は小さな女の子を連れてきた。
とても不思議な光景だった。僕の知っている妹は、とても大人びた顔をしていた。それは僕の知らない人だった。その代わりに、とても小さな妹がそこにいる。
「、、、、って呼んでごらん。」
妹の声が遠くに聞こえる。僕はその子をじっと見つめたまま、その場から動くことが出来なかった。その子はとても小さく、不思議そうに僕の顔を見つめていた。
その、そのまんまるとした美しい目が、僕を見た。僕はその目を、見つめ返した。
二人はその時、出会ったのだ。