駐在家族、変化の春
もう1年経ってしまう
去年の4月にコロナ禍で一時帰国の予定で日本に戻り、もうあと少しで1年経つ。娘はマニラで通っていたモンテ園のオンラインを去年の夏から開始した。だって、戻るつもりだったから。春に戻り、夏には戻れるかな、年末には戻れるかな、さすがに3月頃戻れるかな…とやっているうちにもう1年。去年の帰国時に、奇麗だなあと思った桜が、もうすぐ咲くんだ…。
世界最長のロックダウン
ご存じの方もいるかもしれないが、フィリピンは去年の3月からロックダウン(community quarantine)を続行中。途中、強化されたり、少し変化しながらも、一度も解除されていない。すごくないですか?
ちなみに学校も対面は去年の3月から一度も行われていない。プライベートスクールやインターの学校はオンラインをする環境も整っているけど、地元の公立校はオンラインスクールなんて出来るわけもなく。Wifiがある家だって、中級層以上だ。先生たちは学校の屋根に上り、オンライン教育のために電波をキャッチしようとしたり、ネットワークが悪くて今日は休校です、というのも割と頻繁に起こっているようです。娘のスクールは幸運な事にその様な事態はなかったけれど。
コロナ対策迷走中のフィリピン
迷走。この言葉に尽きる。
フェイスマスクをしないと違法。あの効果のないと証明されているフェイスマスクが、今でも。マニラは貧富の差が激しく、フェイスマスクが買えない人も多かったりする。だからガロンサイズの水ペットボトルを半分に切ったのを頭にかぶせたおじさんがいたり。いや、アイデアすごいよ!
15歳以下の子供は家から出てはいけない。富裕層の豪邸ならまだしも、コンドミニアムに住んでいたり、家が狭い場合どうするんだろう。1年間家から子供を出さないって、政治家や政策決定者は人々の暮らしのリアルをわかっているのだろうか。しかも守っているのは富裕層、中間層のみで、低所得地域はわらわら朝から路地で群れ、子供も遊びまわっているそうです。警察が来たらさっと家に入るという意味のなさ!
バイク乗る時も二人乗りの場合は衝立をつける。バイクだよ!屋外だよ!でも、そんなの買えないから、でかいバナナの葉っぱを衝立に見立てている人がいたり。いや、アイデアすごいよ!(2回目)。
1年も経つのに最近はまた増加傾向で、ロックダウンを強化しようとしている。なのに、政府の報道官は「致死率も高くなく、我々はエクセレントな対策を行っている!」という、「え、どこから来るんだこの自己肯定感の高さ!」といったコメントをしたり。これ、日本で言ったら滅茶苦茶バッシングされそうだよな…。日本、いろいろ問題はあるけど、会社も普通に営業していて、普通に買い物もできて、学校のやっている。実はこれ、すごいんですよ~!
娘の学校
さて、迷走対策で話はそれたが、1年オンラインんで頑張ったフィリピンの園、いよいよ今セメスターでフィリピン終わりにしようと思っている。1年間、帰れる日を励みに娘も自分も頑張ったけど、1年たった今も何も目処がたたない。世界最長1年間のロックダウン続行中、コロナ対策瞑想中のフィリピン。2歳半で入学して2年以上お世話になった学校。今も、日本の学校じゃなくて、ここがいい、「私の学校はここよ」と言う娘。対面でさようならも言えず、娘のポートフォリオも残したまま。娘と私の、フィリピンとの唯一のリアルな繋がりだった学校。
コロナで強制終了
園をやめる事が、実はものすごく悲しい。なぜ私がこんなに悲しい気持ちになるんだろう。空しくて昨日から胸がつぶれそう。でも前に進まなければ。「コロナは個人では何もコントロール出来ない、ポジティブに頑張るしかない」とやって来たけど、ネガティブな事を言いたくなくて無理やり蓋をしていたんだなあと実感しています。コロナが始まって、今が一番コロナが心から憎い。こんな中途半端な終わり方した人は私たちだけではないだろう。フィリピンに限らず、世界中たくさんいると思う。ロックダウンになって外国人の入国が禁止され、1年以上会えていない家族や恋人たちもたくさん知っている。
色々なことは起こるにして起こる
すべての事には意味はある、怒るにして起こると言うけれど、これにはいったいどんな意味があるんだろう。駐在中にコロナになり、家も放置、さようならを言わずに別れる事になった友人や知り合い、学校の先生たち、そして娘の友人も。はっきり言って、起こるべくして起こったと言えるほど悟っていない。色々話せるほど心の整理もできていないし、はっきり言って今も胸の中はぐちゃぐちゃだ。何を思ったか、タガログ語を勉強したらマニラに戻れる、という娘を見て、胸がキリキリ痛む。
だから、今はそんな悲しみや怒り、切なさ、やるせなさを閉じ込めないでおこうと思う。それでも前に進まないといけないから、痛みを感じながら少しずつでも歩いていこうと思う。