母の無意識
先日1歳になった私の娘。
今日はその娘の予防接種の日であった。
病院に行く日はいつも少し緊張する。
なぜかというと、優秀な方々に囲まれた病院では、
私の浅はかさが露呈してしまうからだ。
例えば服選び。
事前に脱ぎ着しやすい服で、と言われていたし、
自分でも脱ぎ着しやすいと思って選んだのだけど、
袖を通した後に脇でボタンを留めるタイプの服は不適切だった。
普段はTシャツのように、
空いた襟からスポンと顔を出すロンパースをよく着せているのだが、
頭が引っかかって手間取ることが多々あり、
なかなか脱ぎ着しにくいと思っていた。
着物のように着るものだと、その悩みは解消されるし、
はだけさせれば半分着たまま注射を打てるし、
終わった後はボタンを留めるだけ、なんて勝手に想像してしまったのだ。
現実はそんなに甘くなく、
その日は全身チェックで脱ぐ必要があり、
泣く子の右腕を通して、左腕を通して、ボタンも複数箇所留めるそれは
まさに脱ぎ着しにくいものだった。
荷物の取り回しも上手くできない。
乳幼児とのお出かけは、とにかくもので溢れている。
おむつ、抱っこ紐、ぐずった時用のおもちゃ、吐いた時用のカーゼ、
ウェットティッシュ、寒かった場合に備えての上着、
A4サイズの問診票、母子手帳、医療証、保険証など
それら全てが取り出しやすいようにオーガナイズされて、
かつ、しまいやすいようにしっかり整理されて出かけられるのが世の母親だと思うのだが、
荷物は極力少なくしたいと思う私、出かける直前にバックにポンポン荷物を詰めてしまうマミーブレインの私は
独身の頃から使っている革のショルダーバックを、自分用と家庭用の分厚い財布2つと、おむつセット、母子手帳セットでパンパンにさせ、
せめてA4の問診票がすっぽり入るサイズに物を用意すればいいものを、
B5くらいのサイズの小さなトートバックにその他のものを詰め込みパンパンにさせて行ったことがある。
結果、大惨事であった。
当時、まだ立てもしなかった我が子を抱きながら、
想像以上に温かい(暑いといってもいいくらいの)待合で、
小さいトートからはみ出る問診票は今にもぐちゃぐちゃになりそうだし、
その上に載せた娘の上着はただの荷物だし、
自分の着てる上着も脱がずにはいられなくなり、
仕方なくトートと一緒に掴むも、
余計に問診票がグチャクチャになりそうでヒヤヒヤする。
明らかに片手のキャパを超えているので、
診察室の荷物かごにぶち込むように置くしかなかった。
診察後も、返してもらった検診結果控えはきちんとしまえずに落とすわ、
会計時には財布は取り出せないわ。
病院内の至る所で大変迷惑をかけてしまい、申し訳ないことをしてしまった。
一歩先を読んだ行動も苦手だ。
10ヶ月検診の時、裸になって隈なくチェックしてもらうのだが、
裸になっているのであれば、
次に 私がしないといけないことは、娘におむつをはかせることなのに、
私ときたら、診察で怖がっている娘を見て、
なぜか持っていたおむつを遠くの荷物かごに置いて、
娘の近くでオロオロしながら、
能天気でなんの救いにもなっていない言葉!と脳内でツッコミを入れつつ、
「何にも怖くあらへんよ〜!」などと、とりあえず思いつく言葉をかけることに終始してしまうのだった。
そして何よりタチが悪いのが、
先生やスタッフさんの処置の途中でいらんことをしてしまうことだ。
先生が聴診器を当てて胸の音を聞いているとき、
動かないように両手を持っていて、と指示がきちんとされたのに、
泣き叫ぶ娘をどうにか慰めてあげたくて 、
その手を離して頬を撫でてしまったりするのだ。
当然、娘の手は聴診器に当たる。
先生の診察の邪魔をしてしまう。
本当に最悪のへなちょこ母ちゃんだと思う。
そして、こういうヘマをするたびに、
私は、顔の全てを柔らかくして、
エヘヘと笑ってみたり、
困った顔で「すみませんー!」と言って、
愛想でなんとか乗り越えようとしてしまうのだった。
そんな自分が嫌いでなんとか直したいが、
染み付いていて、なかなか卒業できていない。
そんなこんな、過去の振り返りが長くなってしまったが、
今日も今日とて、
今日こそはヘマをしないぞ!
失敗しても「えへへ」と愛想で乗り切るようなことをしないぞ!
と鼻息を荒くして準備した。
服は着たまま注射を打てる半袖ロンパースに脱がしやすい大きめのワンピース。
大きくなった娘の持ち物は格段に減り、
ものの出し入れの時には立って待っていてもらうこともできる。
嵩張るものは念の為のおむつセットとお茶の水筒くらい。
財布の最小化もしたので、件のショルダーバックに難なく入った。
持ち物のアドレスを決めるためにバックインバックも導入した。
春なので上着も不要。
注射の時のシュミレーションもした。
スタッフさんが指示をしてくれる。
明瞭な声かけだから、心を無にして、
その動作にだけしっかり集中しよう。
そうこうしているうちに予約の時間になり、病院に向った。
狙った通り、10分前には病院につけた。
保険証や問診票なども受付に行く前に事前に セットで出して、
渡す時もスムーズだったし、返してもらった時もサッとしまえた。
幸先が良い。今日は行けそうな気がする。
診察室の前でもしっかり最後のシュミレーションをして、
いざ診療室の中へ。
診療室に入ると娘は早くも何かを察知してソワソワしている。
椅子に座るとき、自分と娘が向き合うように抱っこしていたが、
先生にお腹を向けるように指示があった。
その通りしようとするのだが、
いつもならかごに置くショルダーバックを
肩にかけたままそうしてしまったため、
娘の足が引っかかって、むきを変えることに手間取ってしまった。
ここでまた挫けそうになったが、
ワンピースをサッと脱いで、半袖ロンパースへなれたことで、
形勢を立て直せた気がした。
スタッフさんの指示通り、両腕を持つことに徹する。
先生もスムーズに聴診器で胸の音を聞き始める。
しかし、聴診器が冷たかったのか、娘はついに泣き始めてしまった。
聴診器の場所が移動するたびに大きくなっていく娘の鳴き声。
声が高すぎて音が消えてなくなる瞬間もあるくらいだった。
今は頬を撫でるよりも診察が最優先、しっかり持ってないと、と思った矢先。
私は聴診器を跳ね除けてしまった。
手が勝手に動いてしまったのだ。
自分でも訳がわからず、先生に謝ることしかできなかった。
その後は、グダグダであった。
スタッフさんが右に回ってって言ってくれているのに、左に回ったり。
なんで自分はいつもこうなんだろう、と思ったが、
不思議といつものように虚しい気持ちにはならなかった。
いつも大抵、恥ずかしくてその場から消えてなくなりたいと
思うのに、なぜか今日はそうならなかった。
接種が終わって、待合室で経過を見るために待機している間、
何がなぜ起こったのか、今一度考えてみた。
そして気付いたのが、
本能的に私は娘を傷つける病院や処置を拒否しているということだった。
頭では予防接種は必要なことで、受けていない方が危ないということは
はっきりはっきりわかっている。
しかし、実際に泣き叫ぶ我が子を目の前にして、
自分が知っている針の痛み、金属の冷たさ、冷たい液体が体に入ってくる怖さ、
そういった全てのものから子供を守りたいと思ったんだと思う。
母性本能は、全てを包み込んでくれるようなピンクの温かくて柔らかいクッションのようなものではない。
経血のようにドロドロで赤黒く、凶暴で痛みや苦しみと共にあるようなものだと私は思っている。
また、行動の決定は意識より前の段階で行われていて、
行動の後で意識がそれについて言葉を与えるのだという。
だとすれば、母性本能が私に聴診器を叩かせることくらい簡単なのだ。
無意識の中の社会的ストッパーが、こんなにかわいくマイルドに仕上げたのかな?と思うと、上手く折り合いをつけたな、と褒めたくさえなる。
それに気付いた後、経過観察してくださったスタッフの方に、
いつもすみませんと、ニヘラニヘラして、愛想を振りまいた。
スタッフさんは全然大丈夫ですよ、と穏やかな笑顔で言ってくれた。
母親の拗らせた部分までケアさせてしまって申し訳ないな、と思いつつも、
あまり深刻にとらえる必要もないのかも、だって準備はしたし、
私は娘を守りたくて、かわいい反抗をしてしまっただけ、と
頑張った自分へのご褒美にスタバでキャラメルマキアートを買った。
めちゃくちゃ美味しかった。
おしまい。