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インターナショナルスクールの保護者の集いで芽生えた初めての想い。「もっと英語で話したい!」
こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。
息子の通うインターナショナルスクールが長い夏季休暇に入る前の学期末、保護者の集いが続けてあり、参加しました。
まず、学校主催の保護者会が数回、立て続けにありました。
息子が日本の区立小学校に通っていた頃の保護者会は、学校の体育館や図工室のような大きな教室で開催され、資料が紙で配られ、その内容について教員からの説明を保護者が静かに聞くというスタイルでした。
シンガポールで通っていたインターナショナルスクールでの保護者会は、参加形式は対面とオンラインのいずれかを選択することができ、対面の場合はシアターで開催され、資料はデジタル。教員によるTEDスタイルの説明があり、保護者のリアクションも巻き込んだパフォーマンスようなスタイルでした。
今回の学校の保護者会のスタイルはどんなかな?と参加してみたところ、多いに違って驚きました。
初回は区立小学校に近いスタイル。
資料はデジタルで共有があり、プレゼンテーション形式でお話を聞くスタイルでした。
続いて行われた2回は、お題に対して保護者がグループに分かれて議論してそれを発表するというワークショップ形式。
ほぼ初めて会う保護者同士、見た目から使用言語から、まさにインターナショナルな環境で、みんなの共通言語の英語で議論しなければいけないのです。わたしには大変ハードルの高いスタイルでした。
お題は、デジタルディバイス、メンタルヘルス、勉強とスポーツ、親子の関わり、友達同士の関わり、学校に期待すること、等いろいろあり、活発な議論が交わされました。
どのトピックに対しても、保護者が確固たる意見を持っていることに驚かされました。
わたしは、他の保護者の意見に感心したり、共感したりするものの、自分から意見することはできませんでした。
これは英語による壁というよりは、もっと本質的な問題で、挙げられたような視点で日頃息子と接してこなかったためです。子供ごとの個性があり、親が意識を働かせるべきトピックも異なるので、すべてについて感度高くいる必要はないとは思いますが、思春期に達した子供に対する親の態度として学ぶべき点が多いと思いました。middle school age の子供に対しては、親は日々の世話をするだけでは不十分で、その子の将来にまで視野を広げた助言や支援を意識する必要があるのだと気づかされた機会となりました。
一方、もちろん英語が壁にならなかったかというと嘘になります。
英語を流暢に話すことができれば、意見とまでいかずとも、保護者同士の距離をもっと詰めることができたかもしれないと悔みました。
その後、息子が仲良くしているイギリス人のご家族が主催するパーティにお呼ばれする機会がありました。そこには様々な国の出身者が集まり、当然コミュニケーションは英語で行われました。
わたしは参加することにとても気後れしていたのですが、勇気を出して参加してみた結果、たくさんの人と知り合うことができ、とても楽しい時間を過ごすことができました。英語が上手に話せたら、もっと仲良くなれるのかな、と思いました。
わが家で英語を話せないのはわたしだけなので、英語については常にコンプレックスを抱いています。
夫とわたしは社会人になりたての頃はそれほど英語の力に差はなかったのですが、留学に海外勤務、それに外資系ビジネスど真ん中で20年働き続けてきた彼は、いまや英語は全く問題なく、もはや外国人のようになりつつあります。(それでも超えられない海外文化が育む文脈理解の壁などがあるようですが。これについてはまた別の機会に書けたらと思います。)息子は言わずもがな、毎日英語で生活している人なので、会話力は夫にかなわずとも、アカデミックな英語の理解力はおそらく夫を超えるでしょう。
この家族に囲まれ、異文化コミュニケーションを続けていると、自分の英語力の乏しさに凹むことが多く、結果、英会話は夫と息子に任せて英文メールでのコミュニケーションに問題なければいいや、と自己完結してきました。
けれど、この保護者会とパーティをきっかけに、「わたしはもっと英語で話せるようになる必要があるし、話せるようになりたい」という感情が初めて湧いたのです。
つづきます。