常夏の国の暮らしはラクだが… 〜季節と思い出の関係〜
こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。
急に暖かいですね。
東京の桜も、今週には開花見込みとか。
こういう季節の変わり目は、着る服がなくて困ります。
夏から秋、秋から冬になる時も困りました。
しばらく常夏の国にいたので、夏服ばかりで冬の服がなく、しかも以前はエアクローゼットで届く服がメインだったので、手持ちの服がとことん無い状態なのです。
今のわたしの場合、近所で着るカジュアル服があればよいので、GAPやZARAで買ったセーターに、ヒートテックを着ていました。
が、薄着になっていくと、今までのヒートテックに代わりコットンの長袖一枚でサマになる服が必要になってきますよね。
また買い足さねばならぬ。
こういう、季節ごとの服装の入れ替えは、地味にお金がかかるし、地味に疲れます。
今日コットンを着たと思ったら、明日はヒートテックが必要になるし。
コートが要るのか、要らぬのか。
それはダウンなのか、ウールコート?、或いはウィンドブレイカー的な?
雨降って冷えるとか、午後から晴れて気温上昇なるとか。
寒いのも嫌だし、暑いのも苦しい。
天気予報と、睨めっこです。
常夏だとこういうストレスがありません。
明日も明後日も30度超えなので。
冷房対策の薄手のカーディガンがあればよし。
季節ごとの衣替えも不要、
夏の籠バッグやサンダルはオールシーズン使えて、
ブーツやマフラーなどは冬の国にいく時だけあればよし。
荷物が少なくてすみます。
気温や湿度が一定なので、体調管理もしやすいです。
季節の変わり目の気温変化は、相当に体に負担がかかっていることを、日本で暮らすと実感します。
総じて季節が一定の国の方が暮らしやすいと感じます。
ただし一点だけ難点があります。
それは、思い出が残らないことです。
常に気温が一定だと、過去の記憶に変化がなく、思い出が記憶に定着せず流れていく感じがするのです。
季節のイベントを楽しむ派のわたしは、シンガポールでも季節ごとの料理や行事を楽しんできましたし、学校行事もたくさんあったのに、どれも記憶に起伏がなく、同じだったような気がするのです。
写真を見れば思い出すのですが「これ、何月だっけ?」となります。
日本人の記憶は、思いのほか季節が結びついているのだと知りました。
入学式に桜が満開だったね
夏休みにお祭り行ったら暑かったよね
紅葉の綺麗な場所で写真撮ったね
冬の寒い中、並んでラーメン食べたね
その出来事の空気感、気温、天候などが結びついて、鮮明に記憶されているのです。
このことに気付いて以来、どんなに季節の変わり目が大変であろうとも、四季のある国に生まれてよかったと心から思うようになりました。
今年は久しぶりに桜を見ることができるので、今から心待ちにしています。