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武田砂鉄さんと町田康さんの対話に「ほんとうのこと」について思う 〜TBSラジオプレ金ナイト〜
こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。
またまたTBSラジオの話なのですが、「武田砂鉄のプレ金ナイト」を聴きました。
砂鉄さんは、いろいろなラジオ番組に出演されていて、パーソナリティの代打も快く引き受ける懐深いお人柄。2024年にradikoで聴かれたラジオ番組出演者人物の第6位に入っていました。
今回のプレ金ナイトのゲストに小説家の町田康さんが出ていらっしゃいました。
この度発刊された著書「俺の文章修行」について語られていました。
町田康さんと言えば、わたしにとっては「くっすん大黒」での鮮烈なデビューが印象的です。独特な文体で、こんなに自由にでろんでろんに書かれる小説を初めて読んだ当時のわたし(たぶん他の多くの人たちも初めてだったと思う)は、驚きつつ勢いのまま読み進めると、確かな小説を読了した手応えを感じ、なんだこれは!と思ったものです。
ラジオの中で、町田さんは「面白いこととは、ほんとうのことを書くこと。ほんとうのことを、正確に書くこと」という趣旨のことを話していらっしゃいました。「適当に、だらしなく見えても、ビシッとしている」「で、読んだ後で『やっぱアホや』というのが最高」だとも。
ふむふむ、町田節だなあ、しびれます。
町田さんの小説は、その文体に驚かされるものの、構成も描写も「ビシッと」精緻なので、だらしない小説には決してならないのだと改めて納得しました。
わたしは、自分の「ほんとうのこと」って何だろうと考えます。その瞬間に思っていることをそのまま、ありのまま書く、というようなことのようですが、たぶんありのままと言うのは難しく、どこかで気取ったり、格好つけたりしてしまうので、「ほんとうのこと」はまるで書けないと感じます。そのまま書いたらわけわからなくなりそう。
「ほんとうのこと」とは、「身が破滅するようなこと」でもあるそうです。
それくらい、自分の奥の奥にある、生の感情を、小説家の人たちは書き出しているのですね。だから小説は面白い。小説家は命懸けの職業であるなと尊敬します。
砂鉄さんと町田さんの静かな対話は、聴いていて耳に心地よく、また熱気を感じました。町田さんは砂鉄さんよりもだいぶ年長のはずですが、まるで偉そうではなく敬意を持ってお話されているのが伝わり、また正直にお話されているのが感じられます。砂鉄さんは、それを包むように応じて、絶妙な例(井伏鱒二の短編のこととか)を引き合いに出して、対話を重層化させていらっしゃいました。
すごいなあ。会話ってこんなに聞いていて心地よいものなんだなあ。
「プレ金」の由来である今や風前の灯?のプレミアムフライデーについての導入のお話から、亡くなられた森永卓郎氏を悼むお話では森永氏のお人柄が深く偲ばれるエピソードを紹介され、森永氏もまた生前追及つづけた森友学園問題の新たな進捗について語られるフリートークも、お見事でした。
流れるようなつながり。
これからも楽しみに聴きたいと思います。