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「江ノ電のある風景 鎌倉から藤沢まで10キロの旅」を観て、祖母宅に通った時間を懐かしく思い出す

こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。

先日、NHKの深夜の時間帯に放映していた「江ノ電のある風景 鎌倉から藤沢まで10キロの旅」を見ました。

鎌倉駅から藤沢駅までの15駅を、運転席の眺めを中心にのんびり放映してくれる、なんとも長閑な番組です。

この番組を視聴して、とてもノスタルジックな気持ちになりました。
祖母の家に通っていた時間を思い出したからです。

わたしの現在の生活に影響を与えている祖母は、鎌倉の人でした。

祖母の家に行くには必ず江ノ電に乗りました。
鎌倉から長谷まで。時には藤沢から。
番組の画面を見ていると、次第に幼い頃の記憶が蘇ってきました。
電車のカーブするかんじ線路と建物の間隔の狭さ
ただ流しておこうと思った番組に、思いがけず見入ってしまいました。

かつては茶色い木製の床で、切符はすこし固めで、駅員さんが改札口で待っていて改札鋏でカチカチと切ってくれていました。
現在の車両は、かつての面影を残しつつも新しく現代的。改札も自動です。

今やインバウンド観光客が大勢詰めかける沿線ということで、画面にはたくさんの外国人客、そして写真を撮りまくる人々が映っていました。
昔から観光客は多くて土日は出かけるのも大変だと、祖母と伯母が話してはいましたが、その比ではない混みようでした。

景色もだいぶ変わっていました。
路線のカーブは同じなのですが、線路の周りにあった古い家の敷地が分割されて、マンションやアパートや宅地になっていました。
一方、駅舎はあまり変わっていませんでした。
綺麗にはなっているのでしょうが、昔の面影が残されていて、駅名を示した独特な文字体の看板がノスタルジーを醸します。

長谷駅の踏切、少し線路わきを進んだところにあるもう一つの踏切。
このあたりの建物も変わっていませんでした。
角にあった床屋さんのサインポールと、踏切脇にある小さな池
この池の鯉に挨拶してから祖母の家に歩いていったことを、鮮明に思い出します。
踏切を渡らず反対の道をゆくと由比ヶ浜海岸が広がります。
この道沿いにあった螺鈿細工のようにきらめくタイルの建物はバブルの風情を感じますが、これが建った当時は子ども心に「なんて格好いいんだ!」と憧れたものです。
あの道には、よく、サーファーのお兄さんやお姉さんが、自転車の脇にサーフボードをひっ提げて、タラタラのんびりと走っていました。
海から上がったばかりの湿った髪とウェットスーツを半分脱いだ格好濡れる車輪の轍。とても大人っぽく、色っぽくて、わたしは見惚れていました。

今では随分有名になった力餅屋さんにはおやつを買いに行きましたし、祖母が主催して親族で集まる場所は華正樓でした。

弟と共に祖母に連れられて、大仏様や、観音様権五郎様(御霊神社)にぶらぶら散歩に行き、かくれんぼをして遊びました。
特に権五郎様にはよく行きました。
今は有名なアニメ映画の聖地巡礼スポットになっているようです。
夏には蝉が鳴きしぐれ、境内には古いコカ・コーラの赤いベンチが置いてあって、その裏手の石碑の裏に隠れて遊んだものです。

鎌倉、和田塚、由比ヶ浜、長谷、極楽寺、稲村ケ崎、七里ヶ浜、鎌倉高校前、腰越 あたりまでが、わたしの懐かしいエリア。
極楽寺は、よく祖母が習い事をしていたから話を聞いたな
稲村ケ崎は、トンビがたくさん飛んでいるので獲られないように注意して肉まん食べたな
七里ヶ浜は、高校で通っていた塾の友達が住んでたな
鎌倉高校前は、カッコいいお兄さんお姉さんが沢山乗り降りしてたな
腰越は、江ノ電のかたちをした和菓子屋さんがあって、藤沢側からだと鎌校前までの間で景色が開けるポイントで毎回感嘆してたな
と、思い出が留まりません。

由比ヶ浜」の発音のことも思い出しました。
最近の人は「ゆいがはま」を「」にアクセントを置いて発音するが、鎌倉の人は「ゆいがはま」の「ゆ」にアクセントを置くのよ、と祖母がよく言っていたのも思い出しました。
わたしは、今も、祖母流のアクセントで鎌倉人気取りをしています。

江ノ電、また乗りたくなったなあ。
思いがけず、郷愁を掻き起された体験でした。

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