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【小説】スケープ・ゴート 第1話
第1話
やあ、あんたか。また来たの。
え、一週間ぶり? そんなに? まだ三日くらいしか経ってないと思ってた。
あれ、髪になにかついてるよ。ああ、水滴だ。
ふーん、外は雨なんだね。寒かった?
そっか。もうすぐ春なんだね。
うん、元気だよ。ちゃんと食事もしてる。
不思議だよね。僕さ、ここに来てから偏食が治ったんだ。
え? 美味しいわけないじゃない。ほとんど味なんてないもん。
でも、ちょっと懐かしい。入れ物のせいかな。給食を思い出すんだ。
あの頃は全然食べないで、残してばかりだったのにね。
なに、それ? 卒業文集? 僕のやつ? へえ、クラスメイトから借りてきたの。
いや、覚えてないよ。なにを書いたのかも。
……『将来の夢』だってさ。僕、こんなこと書いたんだ。
小学生の頃のこと? それは覚えてるよ。
どんな思い出かって、そりゃあ、色々あるけどさ。
ねえ、あんた本当に僕の話が聞きたいの?
聞いてどうするの?
本を書く? なんのために?
……ふうん。よくわかんないな。
いや、別にいいよ。話をしたくないわけじゃないんだ。
ただ、不思議だなって思ってさ。どうして急に、みんな僕に色々聞いてくるんだろうって。
僕の話を聞きたがる人なんて、今までずっと、誰もいなかったのにね。
信じないかもしれないけど、僕、小さい頃は、素直で明るい優等生だったんだよ。
困っている人がいたらほっとけないから。誰かが喜んでくれるとうれしくてさ。
そしたら周囲の大人から、しっかりしてるってよく褒められた。記憶力もよくてさ。授業でもいっぱい手ぇ挙げて。
友達も大勢いたよ。よく僕の家に集まって遊んだな。
みんな集まったらさ、お金を持ってコンビニに行くんだよ。どれでも好きなの選んでいいよって。みんなが喜んでくれて、うれしかったなあ。
そしたら、だんだん増えてきちゃって。多い時はいっぺんに十人以上集まる時もあったよ。
そういえば思い出したけど、こんなことがあった。
うちでみんなでマリオカートしてたんだけど、連続で負け続けてた子が急に拗ねちゃってさ。
みんなは家でもやってるけど、自分は持ってないんだから勝てるはずないって。
驚いたよ。だってマリオカートだよ? 持ってない人がいるなんて思わないだろ。どうして買ってもらわないのかって。
そしたら、そいつ「次の誕生日まで我慢なさい」って言われてるんだって。そんなの、半年以上も先だよ。
詳しく聞いたらさ、そいつはゲームとか欲しいものを買ってもらえるのは誕生日とクリスマス、年にたったの二回だけなんだって。ありえないよね。
僕、なんだか可哀想になっちゃって、僕のゲームあげたんだ。だってさ、実は僕、マリオカート二つ持ってたんだよ。同じやつ。
もうとっくに持ってるのに、遊びに来たお母さんの友達の男の人がくれたんだよ。すっかり忘れてたそれを引っ張り出してきたんだ。
二つ持っていたってしょうがないだろ。僕がそいつにあげたら、そいつはもちろんうれしいし、喜んでもらえて僕もうれしい。ゲームだって、うちで埃をかぶっているより、そいつに遊んでもらった方がうれしい。ね、いいことづくしだろ?
なのにさ、夜になってそいつが泣きながら僕の家にそのゲームを届けに来たんだよ。返してこいって、お母さんに叱られたんだって。
なにか誤解があったんだなって、ピーンと来たよ。大丈夫、僕からきみのお母さんに話してあげる。うちには二つあるんです。だから、一つあげただけですって。そう僕が言っても、そいつ、聞かないんだ。それで、もうなにももらっちゃいけないし、お菓子も買ってもらっちゃダメだって。
僕にはわからなかった。どうしてダメなの。だって、人には親切にしなさいって、学校でも言うじゃない。
意地悪なのはそいつのお母さんだよ。そうだろ? でも、そいつは僕の言葉には頷かなかった。もう泣いてなかったけど、僕と一緒に悔しがってもくれなかった。
それから、そいつは僕の家にも来なくなった。きっと意地悪なお母さんから言われたんだと思う。
でも、そんなの内緒にすればいいじゃん。公園で遊んでたって言えばいいんだから。それなのに、優しくしようとした僕のことを避けるなんてひどいよ。
まあ、それはしょうがないか。そいつはお母さんの命令に逆らえなかっただけなんだ。悪いやつじゃないんだよ。
でもさ、遊びに来なくなったのはそいつだけじゃなかったんだ。
僕が誘っても、みんな断るようになったんだよ。放課後だけじゃなくて、クラスでも避けられるようになっていった。確か、三年生の終わりから四年生くらいになる頃は、もうそんな風だったと思う。
仕方がないから、下級生とばかり遊んでた。さすがにあのことから学んだから、うちに連れてきたり、お菓子を買ってあげることはしなかったよ。
そういえば、これはもちろん知ってるよね? うちが生活保護を受けてたこと。
でも、貧乏じゃなかったよ。ブランドの鞄とか、靴とか、お母さんたくさん持ってたもん。
うちのお母さん、キレイなんだ。時々、お化粧してドレスを着たお母さんを、すごい車が迎えに来るんだ。
「ぼうず、ちょっと母ちゃんを借りるぞ」って、助手席からカッコイイ男の人が言うから、「はい! 母をよろしくお願いします」ってお辞儀すると、その人、目を細めて僕におこづかいくれるんだ。
その人だけじゃないよ。うちに来る男の人は、僕にプレゼントやおこづかいをくれた。
お母さんは根っから明るくて、「うちは生活保護なんでー」ってのが持ちギャグみたいだった。
ちょっと話が前後するんだけど、小学三年生になってまもなく、サッカーのクラブチームに入ったんだよ。
後で知ったんだけど、そのチームの主催者は元サッカー選手で、慈善事業に熱心な人だったんだ。「低収入家庭の子供にも習い事を」っていうモットーで、生活保護を受けている家庭の子供は参加費が無料だった。
その選手は人気だったから、もちろん普通の子たちも入ってたよ。そこでも僕、たくさん友達ができたんだ。
その年のクリスマスに、チームの親たちがクリスマス会を企画してくれたんだ。みんなでパーティーして、誰かのパパが、サンタの格好をしてプレゼントを配ったりして、楽しかったな。
その時、うちのお母さんの「うちは生活保護なんで、参加費払わなくていいですか?」っていう甲高い声が聞こえてきたんだ。
僕、包装紙を破りかけてたところだったんだけど、どきどきして手が止まった。ひょっとして、プレゼント返せって言われるのかなって。相手の返事がなかなか聞こえてこなくて、しばらくじっと耳を澄ませてたよ。
でも、もちろんプレゼントは返さなくてよかったし、クリスマス会は最後まで楽しかった。でも、それからしばらくして、サッカーチームは辞めちゃった。お母さんが急に、「つまんないから辞めよう」って。本当は辞めたくなかったけど。
小さい頃は、僕もまだよくわかってなかったんだ。だから「うちはセイカツホゴなんだぜー」って、自分で言ってた。母親の持ちギャグが伝染したみたいに。
学校で渡される集金袋、僕だけはないんだ。
「うちは払わなくていいんだ、だってセイカツホゴだから。働かなくてもお金がもらえるんだぜー」って自慢すると、みんなから「なんでー?」「いいなー」って羨ましがられて、僕もいい気になってた。
そしたら四年生になって、「それ、本当は恥ずかしいことなんだぜ」って突然誰かが言ったんだ。
僕はびっくりした。でも、もっと驚いたのは、
「しー。ダメだよ、それ言っちゃ」
って、周囲の何人かがそいつに言ったこと。みんなも知ってたんだ。知らなかったのは、僕だけ。
それ以来、クラスで集金袋を集める時間が苦痛になった。もう黙って静かに座っているだけなのに、僕を指差して誰かが言うんだ。
「こいつのは集めなくていいんだ。だって生活保護だから」
事情を知らない子がいても、必ず誰かがそう教えるんだ。僕はますます、クラスの中で口を利く機会が減っていった。