【短編小説】いのちのまつり あとがきのようなもの+おしゃべり
このたびは、短編小説『いのちのまつり』をお読みいただき、本当にありがとうございます<m(_ _)m>
この作品は、ずっと前に書いたもののリライトです。
2011年に、上原美優さんという若いグラビアアイドルの女の子が自死してしまいました。
彼女は当時、「種子島の10人きょうだい貧乏アイドル」として人気者でした。
亡くなった時はまだたったの24歳でした。
ニュースを見た時は本当にショックで、そんな彼女の追悼のつもりで書きました。
・・・あれからもう12年も経つんだな。時の流れは早いですね。
上原美優ちゃん。可愛いだけじゃなくて、「種子島」「10人きょうだい」「貧乏育ち」という特有の武器を活かしたトークも面白く、バラエティ番組で活躍なさっていたんです。
わたしは彼女のことが好きで、たまたま彼女の綴った半生記も読んでいました。
ですから、作中に出てくるエピソードは、ご本人の著書を参考にさせていただきました。
コロナが始まった2020年から、芸能人の自死が増えた気がします。
その報道の影響か、後を追うように自死が増えてしまいます。「ウェルテル効果」というそうですね。
芸能人ではなくても、知っている人が自死してしまうのはショックですよね・・・。
身近な人であるほど、なぜその苦しみに気づいてあげられなかったのか、残された人は悩み苦しむ。
わたしの血縁にも、自死を選んだ人がいました。おそらく、これを読んで下さっている方も、自死してしまった身近な人が誰か一人くらいはいるのではないかと思います。
たまに、自死を「悪いこと」のように語る人がいます。
「死ぬくらいなら、これこれこうすればよかったのに」とマウンティングする人がいます。
けれどもその人だって、一度くらいは「死にたい」と思ったことはあるはずですよね。
それでは、実際に自死をしてしまった人と、今生きている人の間に、どんな違いがあるのでしょう。
ないんです。
今日は生きているけど、明日は本気で死にたくなるようなことが起こるかもしれない。それで本当に身を投げてしまうかもしれない。
違いがないからこそ、必死で線を引きたくなる。自死を「悪いこと」「情けないこと」「弱いこと」として決めつけるのは、自分がそっち側に行ってしまうかもしれないことへの恐怖なのかもしれません。
身近な人で、自死を選びたくなるほどつらい日々を送っている人がいるなら、できる限り力になりたい。
そう思います。でも、力が及ばないことも多いです。
そうしたら、せめてこんな風に考えてみようかと・・・。
自死してしまった人は、自分が死ぬことで誰かを傷つけて苦しめてやろうと思ったわけではない。
むしろ、自分が死ぬことで大切な人の心を痛めてしまうことを申し訳ないと、最後までそれを心配しながら旅立った。
そんな風に思うのです。だって、もしわたしがその立場ならそう思うはずなのです。
だから、旅立った人の気持ちを尊重してあげることだけが、残されたわたしたちに唯一できることかもしれないな、と思うのです。
「そんなに苦しんでいたんだね」「それでもあなたは精いっぱい頑張ったんだね」と。
人は、生まれてくることは選べませんが、死ぬことを選ぶことはできる。
そのことが、本当につらいことに直面している人の、救いになることもあるのかもしれません。
ただ・・・ね。
この時期、戦争によって亡くなった人たちについての話がメディアで報じられます。
生きたくても生きたくても、生きられなかった人たち。
そのことを考えると、胸が痛みます。
そして、自分がすべきことについてもっと考えなくてはいけないと思います。
テーマがテーマなだけに、ちょっと暗くなってしまいましたね。ごめんなさ~い💦
改めまして、最後までお読みいただき本当にありがとうございました!
\(^o^)/
夏休みなので、明日から親戚が一週間くらい泊まりにくる予定で、おもてなしに忙しくなるため、しばらく投稿はお休みするつもりです。
みなさんの記事を読んだりコメントをするくらいはできると思いますが、それもままならなかったらごめんなさい((+_+))💦
また時間が作れるようになったら次の作品を投稿したいと思います!
その時はまたおつき合いいただけたら嬉しいです!(*^-^*)
最後に、表紙の写真は「みんなのフォトギャラリー」から選びました。
「自然の風景写真を撮るのにハマってます」さんの「西伊豆の雲見」です。
生命の誕生を想起させるような素敵なお写真です♪
わたしたちが、ネズミよりも更に以前、シアノバクテリアだった時代。
太古の海で一緒にたゆたっていたみなさんと、このnoteで再会できてうれしいです~!(≧▽≦)
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