【小説】日曜日よりの使者 第11話
第11話
こじんまりした平屋の建物は、僕の住んでいる家とほとんど同じだった。相違点は外壁の色と玄関のドアの木目だけ。間違い探しの絵のようだ。
ドアにもちろん鍵穴はない。日曜日の国に窃盗はない。欲しいものはなんでも与えられる。ただ、いくつかの規則を除いて。
『日曜日の国の住人同士は話してはいけない規則です』
使者の声が頭の中で繰り返され、僕はチャイムにかけた指を慌てて引っ込めた。
そっと中の様子を窺う。じっと耳を澄ませると、かすかに物音がする。住人がいるのは間違いない。
ポケットの上からスマホをそっと抑える。スマホは沈黙したまま、僕を励ますようにブルっと振動した。
僕はひとつ大きく呼吸をしてから、思い切って押した。ピンポン、という音が家の中で響いているのが聞こえた。心臓が音を立て、呼吸が浅くなる。「んっ」と小さく咳払いして喉の詰まりを取った。
けれども、ドアは開かない。
「あれ?」
ドアに耳を寄せる。近寄ってくる住人の足音は聞こえない。
僕がこうして訪ねることを見越して、使者が他の住人たちに通達して回ったのだろうか? チャイムが鳴っても出てはいけないと。
一瞬だけ浮かんだその考えを、即座に振り払った。馬鹿な。そんな面倒で不確かなことをするなら、僕を止めた方が早い。
ごくりと唾を飲み込むと、僕はもう一度チャイムを押した。
「あーい」
今度は、中から返事が聞こえた。「いいよ、入って」と間延びした声が続く。
僕を待ち構えていたのか。そんな考えが一瞬だけよぎり、ぞわりと寒くなる。けれども次の瞬間、使者と間違われているのだと合点がいった。
そっとドアを押す。細く開けた隙間に顔を入れ、
「あの……すみません」
奥に向かって声をかける。よその家の匂いがした。開きっぱなしの奥の部屋から、ゲームの音がする。
「あの、すみません」
もう一度声をかける。すると、ゲームの音がぴたりと止んだ。静まり返った奥の部屋に耳を澄ませていると、一人の大きな男性がのそりと廊下に出てきた。
「あのぅ」
「うわぁ!」
相手は飛び上がって叫ぶと、僕に背を向ける。
「すみません! 待ってください!」
急いで叫んだが、男性は部屋に逃げ込み姿を消した。
「すみません、あの、僕、怪しいものじゃないんです!」
こんな時なのに、自分の言葉におかしみを感じた。
──本物の悪者だとしても、自分のことを「怪しいです」とは言わないよな。
そんな考えさえ頭をよぎる。冷静なつもりで、実はちょっと興奮しているのかもしれない。
「あんた誰なの」
男性の声がした。姿は見えないが、聞こえてきた方に目をやる。こちらの様子を窺っているようだ。
「突然すみません。僕はこの日曜日の国に住んでいる者です。住人同士は話しちゃいけないって言われたんだけど、でもどうしても聞きたいことがあって……」
返事はない。聞こえなかったのかと、大きく息を吸った時、
「聞きたいことって、なに」
さっきまでの怯えた様子から、苛立ちに変わったのがわかった。急に形勢を巻き返されたようになって、こちらが慌ててしまう。
「あの……、この世界について、どう思いますか?」
ずっと、誰かに聞いてみたかった。
この世界は一体なんなんだろう。
「はあ?」
しかし男性は、ますます苛立った声になり、
「あんた、なに言ってんの」
半分だけ姿を現した。僕をじろじろと眺める。
「だから、この日曜日の国について……」
「どうって、どういうこと」
「疑問を感じることはないですか。どうしてこんな」
「こんな、なんだよ」
切り口上で返され、言葉を失う。
「つまり、変じゃないですか。働かないで生活させてもらえるなんて」
言った途端に自信が蘇った。そうだ、この日曜日の国は社会のシステムから外れている。
「あのさあ」
男性は嘆息すると、首の後ろをぽりぽりと掻いた。
「あんたのその『おかしい』ってのは、なにを基準にそう言えるわけ」
思いがけない言葉に目を丸くする。
「あんたが知ってるのは、自分の周囲のちっぽけな世界だけだろ。世の中、一度も働いたことのない人なんていくらでもいるよ」
「えっ」
思わず叫んだ。彼は首をすくめると、
「週の半分しか働かない、月のほんの数日しか働かない、世界ではそんな人もたくさんいる。というか、そんな人の方が多いんだよ。中東や、太平洋の小さな島では、国民の9割が働いていないって国もある」
「……」
言葉が見つからない。そんな僕に対して、彼はますます饒舌になる。
「どういうつもりでこんなところまでやってきたのか知らないけど、もしこの日曜日の国に住んでいる人を見下しているんだとしたら、とんだ思い上がりだよ」
「そんな、僕は……」
語尾が消え入りそうになる。背中にどっと汗をかいた。本当に形勢逆転だ。
「早く帰ってくれよ。もう二度と来るなよ」
男性はつかつかと歩み寄ると、玄関に立ち尽くしている僕をドアの外に押し出した。