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【ショートショート】誰のための儀式

 髪を切ることで気軽に生まれ変わることができる気がする。
 肩に触れる毛先があらぬ方向に跳ねていく、あのストレスを何とか乗り切って、肩甲骨の辺りまで伸ばしていた髪の毛を、私は昨日あっさり切った。
 美容院は好きだけれど好きじゃない。自分はお客さんなのに、何となく気を遣って、美容師さんの邪魔にならない動きをしようとすることに疲れてしまうのだ。
 けれど、髪を切ってもらい丁寧にブローをしてもらった後の、艶々とした自分の髪の毛を見ることは人生で五本の指に入るぐらい好きだ。
 首が見えるほどのショートヘア。大ぶりのピアスでも付ければきっと映えるだろう、とワクワクする。
 鏡に映る、新しい姿になった自分が誇らしい気持ちだ。この姿を独り占めしたい気もするし、早く誰かに見せたい気もする。
 美容院を出た後は、お店のウィンドウや車の窓ガラスを除いて自分の姿をチェックした。自然と背筋が伸び、ランウェイを歩くモデルの気分で街を闊歩した。

 その夜、彼に電話をして病院に行った話をする。
「こんなにバッサリ切ったの、どのくらいぶりだろう。頭軽くて最高」
 声のトーンも自然に上がる。本当は、ブローをしてもらったままの姿で今夜にでも会いたいぐらいだった。
 そんな私の気分とは裏腹に彼の反応は鈍い。はじめはそれに気づかず、美容師さんとの会話や、読んだ雑誌の特集の話をする。しばらくして、気のない返事を繰り返す彼に違和感を覚えた。
「……何で切ったの? 俺、長い方が好きなんだけど」
 明らかにトーンの下がった彼の声色に、私の心臓はドキリと跳ねる。
「えっ、そうだった? ごめん……」
 咄嗟に出てきた謝罪の言葉が自分の耳に入ってきた時、美容院から出てきた時の、あの素敵な気分を恋人と共有できなかったことに悲しくなった。
 街を歩いていた最高の自分だったはずのものが、まるで間違いのように感じてしまってショックだった。
 ギクシャクしたまま、その夜の電話は終わった。次のデートの予定を決める予定だったのだが、そんな雰囲気でも気分でもなかった。
 私は何故謝ったのか。
 髪を切るのは私の選択で私のためだというのに、彼の理想の女性像であることが正解かのような思考に陥ってしまった自分に軽蔑する。
 彼は、電話での態度を大して覚えておらず、その後も何事もなかったかのように連絡をしてきたが、私の方が違和感を拭えず結局別れてしまった。
 何度も、私が悪かったのかと振り返る。
 それが、20代半ばの頃の話。

 それから10年経って、私はあの時の自分は間違っていなかったと確信した。
『自分の身体は自分のもの』だと世界が発信してくれたから。髪型だって、ボディポジティブの一部だと思う。
 今の自分を愛しながら、より一層理想に近づくために努力をしたり変化を試みる自分のことが、昔よりも好きになってきた。
 この10年はずっとショートヘアだ。一度髪を切ると、どんどん新しい髪型に挑戦したり、さらに短さを求めるようになってくる。
 思い切って襟足を刈り上げた時は、思わずにやけてしまった。地肌がうっすら見えるほど、バリカンで容赦なく刈られていったのが気持ち良い。
「いい感じになりましたね」
 後頭部に鏡を向けられ、正面の鏡で刈り上がった襟足に触れる。ザリ、とした指先の感触が、まるで自分の身体とは思えない。また新しい自分を発見してしまった。

 今お付き合いしている人は、ショートヘアの私しか知らない。
 ビデオ通話で後頭部を見せると、「いいね」と褒めてくれた。その言葉に、私は優越感を覚える。
 そう言ってくれることは分かり切っていたのだ。
 そう言ってくれる人を選んでいるのだから。
 その反応を求めるための物差しに、私は私の身体を使っている。使った自分を、軽蔑する。私は好きな自分でいるために、自分を認めるために、他人の軸を指標にしたのだ。
 儀式で得られたものは一体、何だったのだろう。