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少子化と自己肯定感

 少子高齢化、というフレームワークを設定すると、国家レベルの人口構成とか、人口動態のマクロな視点が優先しがちなので、敢えて少子化という用語を使って、子どもを産み育てる人たちや、その営みの方に注目している。

 2022年の出生数が概ね確定して、80万人を割り込むとか、推定値より8年早いとか、異次元の少子化対策が云々とか、そういうワードが画面や紙面を泳いでいるが、相変わらず当事者そっちのけの感がある。

 最近見かけたデータの中で興味深いと思ったのは、「お金以外の理由で子どもが欲しいと思わない理由」という質問に対して、若者世代(サンプル数としては200人に満たないけれど)の回答の1位が「育てる自信が無い」だったことだ。

 「ああ、少子化の原因は、我々の自己肯定感の低さとつながっているのか」と得心した。

 以前、若者世代(10代後半から20代?)から子育て世代(30代から40代ぐらい?)を見たら、きっと「超人」のように見えるんじゃないかな、という文章を書いた。仕事も育児も全部やって(やらされて)いる、すごい親たち。近い将来、自分たちは超人にはなれそうもない、と若者世代に思わせてしまっている状況を変えられないか、と考えた。具体的には、労働負担を減らす方向で、荒唐無稽な話ではなく、現実的な話として、週4日労働でも、1日6時間労働でも、実現していくべきではないか、と。

 賃金上昇、社会保障、雇用の安定、子育て支援、児童手当、医療費教育費の軽減、住居手当などなど、やれることは全部やったらいい。でも、足りないものがある。それは、若者世代が実際に動くかどうかということ。交際や結婚や出産にチャレンジするための土台を築くこと。具体的には自己肯定感を高めることであり、さらにもう少し言えば、教育や保育の現場、あるいは育児や家庭教育の課題でもある。 

 この手の話をする時には、自己肯定感とは何かを明確にしておく必要がある。自己肯定感という用語自体は割と曖昧で、学術的には自己有用感とか自尊感情とかセルフエスティームとか、いろいろあるようだが、調査でよく使われる質問項目には、例えば次のようなものがある。

・自分には価値があるか
・自分自身に満足しているか
・自分には長所があるか
・・・・などなど

 こうした質問を用いた調査の結果から見れば、日本の子どもたちの自己肯定感の低さは、ある意味、筋金入りだと言える。ただし、国際比較におけるスコアの低さだけを見て、「欧米並みに!」という単純な論調には賛同しかねる。もう少し日本社会の実態をふまえた議論が必要だ。もちろん、日本社会で生きるために最適化されてきた結果としての自己肯定感の低さだから仕方ないし問題ない、という主張にも賛同できない。

 個人主義か集団主義か、という二元論で考えれば、日本は今なお集団主義的な価値観が圧倒的に強い。集団主義=集団尊重=他者尊重=相対的な自己卑下=自己肯定感の低さ・・・という図式は明白だ。自分の価値が集団の中で優越しないように、常に「私は価値がない人間だけど、みんなは素晴らしいね」と相互に振る舞い合うことが、日本の教育現場を生き抜いていく上での重要な方略になっている、という指摘もある。『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』という本でも、承認欲求は満たされたいけど、目立ちたくないし、集団の序列や秩序は乱したくないという、若者のアンビバレントでセンシティブな感覚が示されている。

 ちなみに、日本の子どもたちの自己肯定感の下落は、10歳前後から顕著になるという。小学校中学年から高学年あたり。あるいは中学生ぐらいまでに「自己肯定感の低い日本の子ども」がほぼ完成するという。

 子どもの頃から、「和を乱すな」「みんなの迷惑にならないように」「目立ちすぎないように」と、集団主義の中で徹底的に自分を殺してきた若者世代に対して、異次元の少子化対策は効果を発揮するだろうか。人間関係の大きな変化をもたらす交際や結婚にチャレンジできるだろうか。他者に働きかける自信と勇気を持てるだろうか。「どうせ私なんか」と俯いて「子どもを育てる自信がない」と答える若者世代が、「職場の和を乱す」ような出産育児に前向きになれるだろうか。

 自己肯定感が高ければ、不安定な雇用や低賃金長時間労働を乗り越えて少子化を解決できる、というわけではない。様々な若者支援、子育て支援も重要だ。それらは最優先で取り組むべき課題だ。それらに加えて、子どもたちの自己肯定感を高める努力も重要だ、という考えが広まって欲しい。教育、保育、家庭の課題でもある。(ちなみに、現行の学習指導要領は、子どもたちの自己肯定感や主体性の向上について、かなり意識した内容になっていることを付記しておきたい)

 自分には価値があると疑わず、自信を持って挑戦し、集団主義の和を乱しながら、出産育児という「私的な幸福」を追求してほしい。それができない時、残る手立てとして、集団主義の極みとしての「産めよ殖やせよ」の再来を危惧せざるを得ない。そういう先祖返りは・・・避けたいな。


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