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ゴッホ・アライブ展から受け取ったもの

言の葉というものは
とても便利である反面

すごく不自由なものだ。


その単語や表現の後ろに張り付いた
感情や背景、情景は
人によって微妙に(ときに、大きく)違うから

伝わっていく事柄は
こちらの意図なんてまるでお構い無しに
瞬間的に周りに染み込んでいく。

それを面白がれるほど、
わたしは人として成熟していないのだ。


日常的な会話でさえそうなのに

誰もが知っているような
人物や事柄について
自分なりの見解を発信することは

時として大きな誤解や軋轢を生み
見ず知らずの人でさえ
攻撃の対象とされる確率が上がる。


けれど。


その怖さを過剰に持ち続けて
発信したい気持ちをセーブすることは
自分に対する冒涜なんじゃないか。


そんなことを思った、
ゴッホ・アライブ展。


苦しい。

展示を観たあと、
それが一番大きな感想だった。


思考
観念
感情
祈り

弟・テオへの手紙に綴られた文字と
カンバスに打ち付けられた色彩とで

ファン・ゴッホ自身の内なるコスモを視覚化する試みに
彼が全生命を捧げていたと感じられ


彼は
生きるために描き
綴り

愛し愛されることを
切望し
渇望し


その苦しく、狂おしくも
どこか鳥瞰図的な思考の濁流を

聴覚と視覚(あと嗅覚も)に
真っ向から打ち付けられたような


そんな展示会でした。
まさに、没入感。


わたしはわたしの等身大のログを残したい

そんな気付きを得た直後だったので


まさにそれを
37年という短い生涯で濃密に体現したような
ファン・ゴッホの思考に深く触れることは

些か刺激的過ぎた部分もあったけど


脳天に突き刺さる出来事だったように思います。


***

平日の午前中だと言うのに
なかなかの人の多さで

展示に没入できるまでには
少し時間がかかりました。

それでも、
ファン・ゴッホが画家として生きた10年ほどの世界へ

映像と音楽によって
運んでもらうことができました。


どんな展示会であっても
わたしは基本的に1人で行くのが好きなんだけど

この展示ほど、
一人になりたいと思ったものはないです。


そんなゴッホ・アライブ東京展は3月まで。
お近くの方でご興味のある方は、ぜひ。



おしまい。

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