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全てのものは、あるべき場所へ。


死ぬときに流れる音楽は、この曲がいい。
レディオヘッドの『Everything in Its Right Place』だ。


僕が20歳の頃、はじめてこの曲を聴いた時は直感的にそう思った。音楽に対する知識も情熱もなく、ただネットや街中から聞こえてくる音楽を受け身に聴いているだけの薄っぺらな人間だが、この曲のイントロが耳に入った瞬間に体が固まってしまうほどの衝撃を受けた。

「何がそんなに良かったのか?」__それを言い表わせるのならば、きっと大したものではない。自分では言語化できない、どう表していいのかわからないものだから体が硬直するほど響いたのだ。

この曲に出会ってから、すぐにその曲のアーティストを調べ、発売されている曲を片っ端から聴きあさった。しかし、全体的に僕の好みに合う音楽ではあったものの、衝撃を受ける曲はあの一曲しかなかった。


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その後も音楽配信サービスから絶え間なく流れてくる曲に、ときどき関心を寄せたりハマることはあった。だけど、その曲が何という曲名で、誰が歌っているかを調べるほどの熱はなく、耳にしなくなるとすぐに僕の記憶から消えていった。

しかし、20歳の頃に出会ったあの曲だけは、ずっと僕の耳に残り続けた。年齢を重ねていろんな体験をした僕の考え方や行動様式は、グラデーションのように段階的に変化していった。それでも気づくと『Everything in Its Right Place』が再生されていた。

『人間の音楽の好みは、中学生あたりの年齢で形成される』という記事を読んだ記憶がある。真偽は不明だが、たしかに学生時代に聴いた音楽は、今聴いても良いとは思う。たぶん、学生時代の憧憬とセットになって蘇るから、より良く聴こえるのではないか。でも、僕にとって『Everything in Its Right Place』は、そういう単純な思い出の一つではなかった。

なぜ僕がこの曲にここまで惹き込まれ続けたのか?最期の瞬間を迎えるまで、その理由がわからなかった。



幼い頃、どんな生活をしていたのかを僕はあまり覚えてはいない。たまに学生時代の頃の思い出話を詳細に語る中年や高齢者がいるが、すごい記憶力だと驚く。記憶は定期的に思い返さなければ消えてしまうと思っているので、きっとそういう人は過去を振り返ることが多いのだろう。


僕はそれをしなかった、というか出来なかった。


学生時代の頃は、まだそれほど酷くはなかったが、社会人になってからはもう昨日のことすら思い出せるか怪しくなった。

唯一、僕の記憶力が使われるのは、自分がその時期に興味をもったものだ。何かに興味関心を持ち、一度手を出すとそのことだけに没頭してしまい、他のことを全て放り出してしまう。例えば、学生時代はTVゲームや漫画、大人になってからは料理、ダーツ、そして美術館巡りなどに心を奪われていた。

その期間は、学業や仕事にも影響を及ぼしてしまうこともしばしばあった。その場では反省したり落ち込んだりしたが、没頭しているものがあれば翌日にはほぼ記憶から霧散してしまっていた。

これほど没頭する力があるならば、何かすごい才能があって成功できるのではないか、と夢見た時もある。しかし、そんなものは全くなかった。なぜなら熱が冷めるのも早く、1年以上継続したことはなかったからだ。

こういう性格だったから周囲からはあまりよく思われていなかったのだろう。だけど、もともと対人関係に苦手意識のあった僕は特に気にしてはいなかった。

大学を卒業し、社会人になってから人並みに恋愛はできた。人見知りなので、馴染むまでにはどうしても時間がかかってしまうのだが、その長い時間を共有したなかで、稀に僕に関心を持ってくれた人がいてくれたことはとても幸運だったと思う。その頃の幸福感は、今も胸に残っている。しかし、恋愛関係においても長く続くことはなかった。

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そんな僕が、没頭していたものや人間関係から離れるときに必ずあの曲が頭の片隅から流れてきた。そう、レディオヘッドの『Everything in Its Right Place』だ。この曲は、まるでロールプレイングゲームを始めからやり直す合図のようだった。


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なぜ僕はこれほどまでにこの曲を忘れないのだろうか、一度本気で分析しようとしたこともある。片っ端から聴きあさった20歳の時は、音楽を聴くことだけに集中していたから、この曲に魅入られる理由までは追求してこなかった。まだ若かったし、今ほど調べものが捗る環境が揃っていなかったこともある。

しかし、僕は忘れやすいとはいえ、関心事に向けてどのように調べて追求していくか、アプローチの手順のようなものを段々と身につけていった。だから、僕がなぜ何十年も経った今もこの曲を聴くと、まるで昨日のことのように感動を導き出せるのか、改めて分析してみたくなった。


だが、僕の手は動かなかった。


分析したいと“本気で”思ったのだけれど、なぜか行動に移すことができなかった。この時、僕は間違いなく興味を抱いた。にも関わらず、追求できなかったのは後にも先にも初めてのことだった。


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聴いたこともない洋楽のイントロが耳に入った瞬間、なぜあれほど体が固まる衝撃を受けたのか?

没頭していたものから、ふと熱が冷めるときに必ず今もあの曲が頭の片隅に流れるのか?

もう何十年経った今も、まるで初めて聴いたかのような新鮮さを味わえるのか?


何かに興味関心を持ったとき、体の内側がモゾモゾしてくるのは、僕がのめり込む対象を見つけたという合図だった。過去に打ち込んできた数々の物事を始める際にも、この身体感覚が発生していた。そしてこの時も、間違いなくこの曲に魅入られている理由を知りたいと僕は望み、体の内側からの“合図”があった。しかし、何かが僕の動きを止めていた。

しばらく経ってから、ふと言葉が僕の頭をよぎった。


「このままにしておくべきだ」


僕が今まで熱中し、没頭してきたのは、いろんな解釈をしたくて分析して、自分を納得させることが目的だった。それは僕の楽しみであり、生きがいでもあった。

だが、一度納得してしまえばその熱は急速に冷めてしまう。そうして、また新しい興味の対象に出会うまで日々を淡々と過ごしていく。

僕はまだこの曲に対して"熱"を感じている。もう十年以上経っても。そんなものにはなかなか出会えるものではない。それをわざわざ解体して、熱を冷ます必要があるのだろうか?

自分にとって本当に心を奮わせるものに出会えたならば、それをそのまま丸ごと受け入れることこそが最も贅沢であり、幸運なのかもしれない。

少なくとも、この熱があるうちは触れなくてもいいだろう。そんな結論に至った僕は、次の興味を見つけるまで待つことにした。それ以降、僕がこの曲を思い出すことは少なくなっていった。


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僕が自宅からほとんど動けなくなってから、あの頃に熱中して没頭できたことが、かけがえのない日々だったと強く実感する。年齢による体力の衰えもあるが、文明が進化しすぎたのだと思う。

あらゆるコンテンツを無限に摂取できるようになったせいで、凄まじい量の情報を効率的に吸収している"つもり"にはなれたが、実際には何の記憶にも残らなくなった。

映像や音声を倍速にしたり、ネット上で読みたい文字情報をAIが自動で送り届けてくれるようになったとしても人の記憶の容量は変わらない。大量に詰め込まれた情報は、脳は保存せずにそのまま流してしまうだけだ。


僕が若い頃に比べて、はるかに文明の発達スピードは上がっているけれど、人々は「より速く!より効率的に!」と今日も叫び続けている。きっと人類が滅びるまで変わることはないのだろう。

皆んな「時間が過ぎるのが速い」と嘆き、空白の時間を埋めるためにさまざまな用事をパンパンに詰めこむことに必死だ。まるで忙しいことで心を失うことを望んでいるかのように。


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僕はもともと忘れっぽい人間なので、今まではそれをあまり気にしていなかった。しかし、日々のやることが無くなってからは、過去を振り返ることが多くなったことを実感するようになった。

空白の時間ができた時に、自分の人生を振り返っている。今までやってきたことは財産だと思える。仕事で成果を出したり、興味を持ったことに取り組み、成果を実感したことだ。でも、やらなかったことは後悔だらけだ。例えば、もっと周囲の人間関係を深めたり、好きな人に告白しなかったりしたことだ。

人生は続いていくと無意識に思っていたときは何も気にならなかったのに、明日があるのかどうかもわからないという実感に打ちのめされてからは、集中力も没頭する対象も見つからなくなってしまった。こうなると頭の片隅にある思い出のアルバムを広げたくなるが、思い出はおろか昔の品物も捨ててしまった。


あらゆるものがデジタル化されていく時代だった。本やCDや写真など、所有するものはすべてクラウドに保存された。昔はそれが便利だと思っていた。データの中からいつでも好きなものを取り出せるという魔法のようなことだと信じていた。

しかし、実際にはそんな魔法は存在しなかったのだ。保存できる量に限りがあり、資本主義のルールがそこにも及んでいたからだ。データ(思い出)を大量に保存しようとすれば、金を支払い続けなければならなかったし、お金を持たない人は古いデータから順に消去していくしかなかった。

自分の人生を削っていくようなもので、心がとても痛んだ。今では後悔している。


今の僕は、他人から見たら「もう長くはない」と思われるだろう。僕も他人事のように思えば、きっとそう思う。

だけど、僕は自分が死ぬことをうまく想像できなかった。「考えなくても、人生終わるときは終わる」と言葉では表現できるが、深く考えようとすると、真っ暗な闇がその思考を飲み込んでしまう。


きっと、死について考えることを拒んでいる。誰でも死は恐いのだ。


その現実から逃れようと目の前のことに没頭したいのだが、その気力や体力が無くなっている。それ以前に、物事に対する興味や関心が若い頃のように湧いてこない。これが"老い"なのか、と実感する。外出や人との付き合いなどの能動的な行動をする機会が減っていくと、映像や音声などの配信を見たり聴いたりする時間が増えていた。


ある日、いつもより眠くてぼんやりしていた時、懐かしい曲が流れてきた。そう、新しいことを始める時に聴くあの曲だ。

この曲を初めて聴いた時、直感的に浮かんだ言葉があった。その時のことは今でも鮮明に覚えている。この身体が不自由で息苦しいのも、この音色に感動したからだと思えば気が楽になる。

この曲を聴く時は、新しいことを始めようと言っても、本当は現実から逃げていたのかもしれない。記憶に残る音色に浸りながら、静かに横になっていた。


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人生はさまざまな経験の積み重ねだ。幼い頃から嬉しいことも嫌なことも、深く考えすぎて悩んできた。その悩みを忘れるために何かに没頭すると、気分が晴れることを覚えた。だから興味のあるものを探し続けてきたのだろう。

本当に大切なものは、そのまま受け入れられることだと気づいてから、興味あるものに執着しなくなった。それは良くも悪くも、物事を素直に受け止めるようになったからだろう。現実から目を背ける必要がなくなったのだ。年を取って自分自身に寛容になったのも、その一因かもしれない。


すべてのものは、あるべき場所にあると思うようになったことで、僕は自由になった。その気付きを与えてくれたのは、『Everything in Its Right Place』だった。この曲が流れている間だけは、僕は完全だった。


その場凌ぎで生きてきた僕にとって、この音楽は救いだった。


薄れゆく五感の中で、最後まで残ったのは聴覚だった。

















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