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差異化と同一化の欲望

「自分らしく」「個性」などの言葉は、周囲との差異化を提唱している。しかし私たちは周りを気にしている。結局マジョリティー側に入ろうと努力するあまり、自分なりのファッションと言いつつも周囲と同一化している現状がある気がする。

もっとも何が良くて何が悪いという話ではない。人それぞれ、好きな服がたまたま大衆的なものだったなどの理由で、特に周りを気にしている訳では無い人がほとんどだと思う。


差異化と差別化の違いについて解説⬇️

「差異化」▶︎「周囲と違いを出しつつも、違うものとして区別すること」

「差別化」▶︎「明確な違いを出して、優劣を付けること」


ドイツの社会学者ジンメルは、『与えられた範例の模倣である流行は、上層が創造し下層が模倣する階層的なものであり、同調化と差異化の両価性をもつ。』(artscapeより抜粋)と定義づけた。

後半はつまり、流行とは同一化と差異化の相乗りということ。流行は「周りと同じ(目立たない)こと=同一化」と「周りに埋もれない(被らない)こと=差異化」の両面を持ち合わせている。


私が最近思うのは、「ファッションの記号化」である。
記号化とは、その人の服装でその人の所属(意識的でも無意識的でも関わらず)するであろう属性、系統が推測できるということを指す。

『地雷系』『清楚系』『無印男子』『オタク系』『アイドル系』『古着系』『ストリート系』『カジュアル系』などなど

近年分かりやすい例えがある、それは『マスク』だ。
(個人の偏見が含まれます)

・黒マスク▶︎病み系
・淡色、紐とツートーン▶︎モテ系
・白マスク▶︎シンプル系

・ダイヤモンド型マスク▶︎韓国系
・ぴったり型マスク▶︎運動系

マスクや服装は各々の好みが含まれているが、それが周囲から観察すると共通点が見えてくる、衣服と系統に相関があるのかもしれない。


そういった『ファッションと記号』についても、周りと違うことで差異化を目指すも、系統という括りに当てはめられて同一化に落ち着くという一連の流れが出来ている気がする。


私たちは、『あなたにしかない強みは?』といった質問に答えられるような人間になるよう望まれている気がする。あらゆる面接でも聞かれるし、友人同士でも「何が得意なの?」とか話したりする。でも、何十億人いる人類と被らない強みなんて、ほとんど無いに等しいだろう!!

ただ被っちゃっただけを同一化というのも何か違うし、かといって自分の好きなファッションをして周囲との差異を蔑視あるいは誇張され、見世物にされるのも何か違う。芸能人だからと叩いてもいいみたいな風潮は好きじゃない(話逸れるけど?)

何が悪いとかがある分野ではないからこそ、差別化ではなく差異化、そして多様性を認め合うことが求められる。