東郷青児に師事した洋画家・久下塚青蘭
東郷青児の弟子に久下塚青蘭(くげづか・せいらん)という洋画家がいます。
グーグル検索で経歴を調べると「1936年、栃木県生まれ。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒。」とあります。文化学院に通っていたという説もあります。後述する画集にも詳細な経歴が書かれていないため武蔵野美術学校を卒業しているのかも文化学院に通っていたのかもはっきりと分かりません。
グーグル検索で出てくる作品画像を見ると東郷青児にそっくりな絵を描いていたことが分かりますが、他の東郷青児にそっくりな絵を描いた弟子(故・安食一雄など)と比べて画力が格段に上です。
また、その卓越した画力故に1977年に画集まで発売されていたことを知り、気になって「日本の古本屋」で『久下塚青蘭画集』(後楽出版、1977年)を購入しました。
その結果、久下塚青蘭は1936年3月17日に栃木県芳賀郡久下田町(1954年に町村合併で芳賀郡二宮町になり、2009年に真岡市に編入)に生まれ、中学生の時に上京して東郷青児の門を叩き、東郷青児の弟子でありながら二科会には所属せずに個展のみの活動をしていたことと、1960年代半ばには東郷青児そっくりの絵を描いていたもののやがてその影響から脱却して独自の画風を築き上げ、1970年代には作品が秩父宮勢津子妃殿下所蔵となる程の売れっ子画家になっていたことを知りました。
また、歌手の小椋佳氏とも親交があり、アルバム『道草』(キティレコード、1976年)のカバー・アートを担当していることも分かりました。
しかし、東郷青児亡き後の1980年代に入ってからの活動実態がグーグル検索しても全く出て来ず、存命なのか或いはいつ亡くなったのかも不明です。
そこで私は2021年11月、SOMPO美術館(旧・安田火災東郷青児美術館)の公式サイトから久下塚青蘭の1980年代以降の消息について問い合わせをしました。そうしたら同館の主任学芸員で東郷青児の研究が専門のA氏から「残念ながら、当館では青蘭さんの詳細につきましては、把握しておりません。」「お名前と作風は存じておりましたが、経歴や、画集を出版されていたことは、頂いたメールで初めて知りました。」「気になっていた作家ですので、手がかりを教えていただけて逆に有難く存じます。」との返答がありました。
それを受けて「私が「日本の古本屋」で購入した『久下塚青蘭画集』(後楽出版、1977年)ですが、稀覯本のようで、東京国立近代美術館、国立新美術館、東京都現代美術館のいずれのライブラリーにも在架されていません。また、国立国会図書館にも無く、私の知る限り、栃木県立図書館にしか在架されていませんでした。私が「日本の古本屋」で購入した際にもそれ1点しか存在せず(22000円で売られていましたが)、ネットオークションにも出回っていませんでした。」とEメールで述べたら、A氏からは「栃木県立図書館には、きっと地元の画家ということで収集か寄贈されたのですね。」との返答がありました。
その頃、久下塚青蘭と親交があった小椋佳氏にも手紙で消息の問い合わせをしたのですが、返事を頂けませんでした。
幾つかの美術系出版社に久下塚青蘭について問い合わせをしたところ、『新美術新聞』『美術年鑑』を発行している美術年鑑社の方から「当社で青蘭について把握している情報、保持する資料などはございませんでした。」「当社刊行の『美術年鑑』に関するデータ類からも消息を追えないため、結果的に確認できる事実はありませんでした。」「栃木県立図書館のレファレンスサービスを利用されるなども、何か消息がつかめるかと思います。」との返答がありましたので、2022年1月に栃木県立図書館のレファレンスサービスから問い合わせをしました。そうしたら、以下の回答を頂きました。
これを受けて東京都立中央図書館で『美術名鑑』(美術公論社)2003年版を調べたところ、p.369に以下の記述がありました。
このことから判るのは、久下塚青蘭は2003年時点では健在だったものの、それ以後にロサンゼルスで死去したということです。「師:宮本三郎」と書かれていますが、画集によると宮本三郎にも師事歴があるので間違いではありません。晩年はロサンゼルスで生活していたものの、東京都渋谷区桜丘町に「(有)ジュエル・コクエイ」という事務所を構えていたことが判ります。”ジュエル・コクエイ”でグーグル検索したところ、当時の電話帳サイトが載っており、正確な住所が「東京都渋谷区桜丘町17−9−401」であることが判明しました。グーグルでこの住所を検索したら、渋谷駅近くの「第二昭和ビル」という1961年5月竣工の古いビルでした。
久下塚青蘭について現在、判明していることは以上です。
この記事をご覧になっている方で、久下塚青蘭についてここに書かれていること以外の情報をお持ちの方、或いは1980年代以降の消息及び正確な没年をお知りの方は当方に情報提供をお願い致します。
〔追記〕
2024年3月上旬、この記事をご覧になった久下塚青蘭の親族の方からEメールを頂きました。その方によると久下塚青蘭の本名は塚田元輔と言い、「久下田の塚田」を略して「久下塚」としたそうです。
【最終加筆:2024年3月16日】
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