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反AIこそが現代の「オタクの本流」と認めて寄り添うしか、表現の自由が生きる道はないのかも知れない。

反AIこそが今の「オタク本流」

SNSでのリアクションの数が全てではありません。

AI利用者の絶滅を祈願するポストについた誰がつけたかも分からない32万いいねがつきましたが、一方でAI規制を求める署名は、1年半で1万筆そこそこしか集まらないのが今の反AIの現状です。

それもchange.orgですら、です。

change.orgは本人確認がガバガバなサイトで、電話番号の認証すら不要で、受信できるメールアドレスがあれば偽名で複数回の署名が可能です。

今はどうなってるかは分かりませんが、5年前に多重署名の有無や対策についての問い合わせに対してほぼゼロ回答を返したサイトでもあります。

本件に関わりが深い事例としては、インボイス反対の署名活動に使われたのもchange.orgですね。

結果、50万を超える署名が集まりましたが、主催がUSBメモリを岸田首相(当時)へ手渡することにこだわった為にアポすら取れなかったと言うお粗末なオチが付いたことで大いに失笑を買ったあの件です。

togetterからのスクショですが、当時元気に暴れまわっていた中心核の人達は、今はアイコンをNomore無断生成枠で装飾しているようで、色々と察せられますね。

一方で、私は32万のいいねを軽く見てはいません。

その中には複数のアカウントからの多重いいねや、問題の詳細や経緯を把握しておらず雰囲気でいいねを押しただけ、好きな絵描きや仲の良い人がリポストしてたから押しただけ、絶滅と言う言葉の意味すら深く考えてない人のいいねも含まれると思います。

32万のいいねの全てが言葉通りの「絶滅」を望んでいるとは言えない一方、AIに対してネガティブ寄りの感情を持った人や、それに対してなんとなくでも賛同する人が十万単位はいると言うことは重く見るべきです。

また、最近は、過激なAI批判発言は手っ取り早く注目を集める方法となっており、あまり聞いたことがなかったような絵描きやVtuberが過激なAI批判発言をきっかけに、知名度を獲得するケースも散見されます。

そのようにして集めた知名度が、本筋の創作や配信活動にプラスになるかどうかはともかく、パフォーマンスが有効に機能する程度の市場規模が反AIにはあると見た方がいいです。

今や反AIこそがオタクの最大ジャンル・王道ジャンルであり、そのジャンルにあり方や考え方に異を唱える反反AIや、AI容認・肯定・推進派こそが異端であることは認めないといけないでしょう。

反AIと言う「彼らが体制に反対している側」と言う印象を伴う名称は不適切で、「オタク本流(反AI)」とでも呼んだ方が適切でしょう。

そして異端は迫害されると言うのは歴史上何度も繰り返されてきた話です。

年食ったオタクなら、「オタクと言うだけで冷ややかな目で見られて、場合によっては嫌がらせをされた」という経験がある人がいると思います。

それが「“AIを否定しない”オタクと言うだけで冷ややかな目で見られて、場合によっては嫌がらせをされた」に変わっただけです。

本質的には何も変わっちゃいません。

「やめようと思えばいつでもやめられることに固執しているんだから、嫌われても当然だし文句を言う筋合いもない」と言う言葉もそっくりそのまま通用します。

ああ、くそったれだ。全くもってくそったれだ。

特筆すべき点など何一つない、日本のくそったれな平和な日常の一コマでしかありません。

表現の自由の危機とAI焚書

マンガ図書館Zの件をきっかけに、オタク本流(反AI)によるAI焚書が表現の自由戦士の目につくところになり、表現の自由案件として認識されるようになったようです。

ただ、今回ばかりは少々、と言うかかなり分が悪いと思います。

今まで表現の自由が色々な危険に晒されながらもなんとか生き残ってきたのは、少なくとも「表現の自由は守らなければならない」が過去のオタク本流の間の共通認識だったことがあると思います。

そして表現の自由を侵害するのは政治や権力で、その点についての認識も統一されていました。

主義主張や性癖やジャンルの違いあれど、団結して権利と言う認識が共通していたからこそ、政治に対抗しうる力があったはずです。

しかし、今は違います。

今のオタク本流(反AI)にとっての敵は、第一にAIです。「表現の自由は守らなければならない」と言うところは変わりませんが、その侵害者はAI技術でありその利用者です。

表現の自由を直接的に、強力に害する可能性が高い国内外の勢力や、政治家よりもまずAIが滅ぼすべき敵です。

あまりに視野が狭いと言わざるを得ませんが、しかしそれが最大派閥である以上、表現の自由戦士がAIによる生成物も表現の一部であり守るべきものとする限り、オタク本流(反AI)からの支持は得られません

政治は結局、数のゲームです。どんなに正論を掲げた所で多数派からそっぽを向かれて数を揃えられなければ通る意見も通りません。

国内外の勢力があの手この手で、着実に包囲網を狭めてくる仲、オタク本流(反AI)との複数正面作戦をできる程の戦力は表現の自由戦士にはないでしょう。

AIによる表現も表現の自由の対象とする限り、表現の自由は恐らく完全に死にます。

AIを表現の敵とみなすオタク本流(反AI)に合流しAI批判に加わる代わりにそれ以外の表現を守ることを訴えれば、AI利用者は滅びる代わりに、AIを除いた表現の自由は守れるかも知れません。

それは本当に自由と呼べるのかは分かりませんし、一度でも外圧に屈すればいずれはその影響はあらゆる場面にまで及び日本の創作がゆっくりと壊死していくことは確実です。

しかしまぁ、少なくとも今の現役世代が生きている間くらいは、人間の手による創作の自由だけは守れるかも知れません。

それでも決済システムと言う生命線を握られている中では焼け石に水でしょうが、オタク本流(反AI)を敵に回してまで、全方位と戦うよりはよっぽど望みがあるでしょう。

いかなる表現も自由であるべきと言う信念の元に表現の自由がすぐにでも完全に死ぬ未来を選ぶか、それともAIを生贄に差し出すことで、自分達が生きている間だけでも仮初の表現の自由を謳歌するか。

表現の自由戦士にとっては大きな分かれ道に立っているのかも知れません。


だからと言って座して死を待つつもりもない

なので、自分持てる技術の範囲で、AIを使うの楽しさを広めていきたいってのはあって、そのあたりは近々投稿したいと思います。



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