あえて恥ずかしいことを。過去のリアルな日記公開④当時20歳、とにかく何かに悩んでる
2020/08/28 当時20歳の日記
今、感じている苦しみやストレスっていうものは
苦しいものであるわけだけど、でも味わえてよかったと思えることでもある。
この苦しみを味わうことがない道もあるわけだけど、
そうしたら私は人が苦しんでいること、頑張っていることを知らぬままに生きていくこともできたってことにもなる。
全ての苦しみを味わう必要はなくても、ただ楽をする中で感じる楽しさを私は最上の喜びとしてきただろうかと思うと、そうではない気がする。
苦労するから喜びが得られるとかいう陳腐なことなわけではなくて、
誰かの苦悩を知らずして歩める道の楽しみに、私は後悔なく心から楽しめたことがあるだろうか、という疑問。
私はどんなに苦しい中でも、苦しい中で自分の正しいと思うことをできたことは“自分”として生きるためには必要であると思うし、
何より人の苦しみを踏んづけて自分の空虚な喜びを満たすような側の人間でありたいとは思わないから、
私が今抱えている悩みや苦しみは私が選んだことでもあるわけだし、
私はどんなにつらくても反対側で楽をする自分を自分は望まないだろう。
正しい とか、正しくない とかは全くわからない。
だから正しくする必要はあるけど、100人いたら100人全員が同じ正しさを持つわけではないわけで、
だからこそ、困ったら迷ったら、“自分”を見つめることが大事なんだろう。
私はメンタルが強いわけではない。
でも様々な体験の中で、大切なのは“自分”を保つことだと知った。
他人の言葉にはすぐに傷つくし、どうでもいい後悔が頭を占領するし、
ただの日常の中で狂いそうにもなる。
でも、その原因を作っているのが環境のせいであったとしても、
私自身の課題というものも少なからずあるのだろう。
だからこそ私はメンタルを強くするのではなくて、
“自分の保ち方”を求めるようになった。
他人に振り回された上での成功は本当の成功ではないだろう。
自分の不幸せの上に得た名声は私を満足させはしないだろう。
他人を卑下する中で満たされる笑顔ほど空虚なものはないだろう。
だから“自分”なんだ。どんなに他人の目が気になろうと、
自分が他人の目になった時、失うこと、ものには気づけなくなる。
“自分”をみんなが大事にすればいい。それだけのこと。
他人の不幸の上に自分の幸せを築こうとするのなら、それは私の問題ではなくその人の問題
何事も経験だ、なんて結果論ほど、正論ほど、
苦悩の中をより暗くすることはない。
経験が大事だなんてわかってる。
けど、それは上辺だけのなぐさめにしかならない時もある。
だけど、自分の経験は自分のもので、
苦しみも悲しみも受け入れることができた時に
見えるものはあるはず。
苦しみや悩みから逃れたくても逃れられない。
そんな時もある。
周りの人が笑っているだけで苦しくてたまらない時もある。
こんな道、選ばなければよかったと思う時もある。
でも、この道で味わうことも、他人の笑顔に誇れるほど
輝く時があることも知っている。
今は立っているだけでも息苦しいかもしれないけど、
踏ん張ってみる。
もしくは座ってみてもいいかもしれない。
孤独や苦悩は長い人生の中で
誰かと共感できた時に宝物のように思えることが
あるはず。
停滞は後退でもある。