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マイ秘ストリー⑦日記を書いていて気づいた自分というもの〜当時21歳の私の日記より

2021/6/4

3年日記の1年目が終わって、2年目を書いていて色々気づいたことがある。
「あっという間」と言われる一年も、何気ない一日一日の積み重ねなんだよなあ、ということを身体で体感した。
頑張った日もあれば、頑張れなかった日もある。
楽しかった日もあれば、悲しかった日もある。
喜んだ日もあれば、悔しかった日もある。
漠然とした一年は、こんなにも小さく当たり前の生きた証によって構造されているんだという感じ、“今日”や“今”が一年になって人生になるんだっていうことの体感がある。
すごく当たり前なんだけど、普段それを体感することはなかなかない。

あとすごく得たものは、“自分”は常に変わり続けていて、同じ自分ではないということ。
今日の自分は昨日の体験や経験によってつくられているのであって、つまりそれは昨日の自分と今日の自分がちがう自分であることだということ。

“自分”というのは常に一貫していると思いがち。
昨日の自分も今日の自分も明日の自分もずっと同じだと思いがち。
でも違うんだよね。
自分の根底の部分の自我は変わらない、ていうか一つ必ず持っていて、太くなったり、深くなったりという変化はあるものの、新しくつくりなおされてゆくものではない。
でもそれ以外の意識の大部分は、常に変わっていて、それは当たり前のことなんだと思う。

昨日、何もできなかったから、今日も何もできないわけじゃない
昨日、何でもできたから、今日も何でもできるわけじゃない
昨日、なぜかすごく楽しかったから、今日もなぜかすごく楽しいわけじゃない
昨日、なぜか気力が全くなかったから、今日も気力がゼロなわけじゃない

それが一年間の日記を通して、書いてあったことだった。
人なんてそんなもの。天気も変われば、気温も変われば、することも変われば、食べるものも変わる。なのに自分の考えや価値観や感情ややる気(意欲)は変わらないものだと固く信じてた。
それによって生じる自己矛盾に何度苦しんだことだろう。

“自分は変わるんだ”っていう発見。そして“変わっていいんだ”という気づき
自分の内側奥底に絶対的な自我の領域があって、でも表面のほとんどの意識の部分は大きく揺れ、よろけながら、倒れながら、折れながら、一つの真実を見つけていき、それが自分の自我の強度を増していく。
だから、私は変わっていいんだって思う。昨日苦しかったことが今日面白くなるかもしれない。どうなるかはわからないけど、明けない夜はないって言うのはきっとそういうこと。
そしてそれは自分でつかむしか方法はないということ。
3年日記をやってよかったなあとしみじみ思う。

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