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公開するために書いてないので#10 言葉のハンマーを持たないとは
2021/6/27の日記より
ハンマーを持っていると全てのものがくぎに見えるという言葉
そのまま言葉の考え方に当てはめようと思った。
自分が言葉を操るとき、言葉のハンマーをもっていれば相手の言葉すべてがくぎに思えてくる。そうして相手の言葉を自分の言葉で叩き、つぶし、押し込まなければ気がすまなくなってしまう。
それは嫌だと思った。
殺す理由がある人は殺される理由もあるということ、
相手を傷つける人は相手も自分を傷つけると思っているから、相手を傷つけていいという理由を持っているということ。
つまり全て自分次第。
自分の心に言葉のハンマーを持ってしまっては、全て手の人の言葉というくぎを打ち付けなければ気が済まない。
でもそれほど悲しいこともない。
言葉は確かにハンマーである。でもそれは自分の発した言葉で
誰かを傷つけることがあったり、自分自身を苦しめるからだ。
でもだからこそ、言葉のハンマーを持ってはいけない。
相手を傷つけ笑っているように見えて、実は自分を傷つけているのに気づかなくなってしまうからだ。
何よりも難しいことは、自分は言葉のハンマーを持たないようにしていても、相手が持っていて、私の言葉をくぎだと思い込んでいるとき。
相手のハンマーに対して、自分を守るためにハンマーを使ってはならない。
自分はあくまで「言葉のハンマーをいかなる時も持たない」ということを誓わなければならないのである。
なんと難しいことか、厳しいことか、耐えることが要求されるだろう。
その時、ただ耐えるのではなく、相手のハンマーを持った経緯をじっと観察するのである。
「私は言葉のハンマーを持たない」それは時に戦場に裸で行くようなものかもしれない。でもそれに意味がないとは思わない。
誰も傷つかないことが、本当に自分を傷つけないことになるのだろう。