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マイ秘ストリー#13〜小5の時、いじめがあって〜
2021/8/5の日記
小5の時、いじめがあって、クラス全員でひとりをばい菌扱いするというやつ
ただでさえ、学級崩壊を起こしているクラスで
小さないじめもたくさんある中で、クラス全員が参加していたいじめ
その子の机だけ誰も運ばない、触ったらばい菌扱い
そんなことがすごく嫌だった。いやだったというと、私は正義のヒーローみたいだな
私が嫌だったのは、誰も運ばない机があるから
私が運ばなくてはいけないという事が嫌だった
いじめられっ子の机を運んだら、私がいじめられるかもしれない
次のターゲットは私かもしれないことが嫌だった。
私が自分ですごいなと思うのは、小5の私が、
「正しいことをしていれば、私はいじめられない」と自分に言い聞かせて行動していたこと
今だったらできるか?それもあやしいくらい、すごく勇気のいることだった
小5の世界なんてクラスだけ、その中でいじめられるかもしれないリスクを背負えたのはなぜだろう、それほどまでに正義感が私にはその当時あったのか、
なんだかはわからない
今思い出してもすごいと思う。
昔から同調圧力みたいなものにピンと反応するセンサーのようなものが私にはついていたのだろうか
正しさを突き通せる強さがあったのだろうか
小5の私に?本当に?
今となってはわからないい
人は悟るときに悟ることになっているのかもしれない
その時、私は確かに何かを悟っていた
それが今の私を確かに作っている
でも、同調圧力を嫌だと言って行動できるほど
私はメンタルが強くない、打たれ強くない
それで何度となく、私は絶望を味わってきた
でも、その度に私は自分の正しさを追い求めてきたのかもしれない
人生には色々な経験がある
思い出すことが苦しいほど、悲しい記憶もたくさんある
でも、今思うのは、その度に強く、弱く、しなやかに、美しくなってきたということ
残酷なほど、悲しい思い出を感謝できるほど私は大人じゃないけれど、
今より明日もっと自分が大きくなれれば
もう少しで許せる日が来るのだと思ってみたりもする
私らしさは人生の中で作ってきたようで、ずっと持っていたものであった気もする
正しさなんてわからないと、わからないけど考えてきた
そんな自分には胸が張れる気がする
「正しいことをすればいじめられない」
世の中そんなもんじゃないと知っている
正しい人こそ糾弾される社会であることは嫌と言うほど味わってきた、し、味わっていくのだろう
でも小5の時に自分に言い聞かせたこの合言葉は
きっと今でも私の胸に残って私を強くするんだと思う
「正しいことをしていれば道は間違えない」
今はこっちの方があっているかも
当たり前の言葉だけれど、強くて厳しい言葉だ
過去の自分に会えたら、びっくりするだろうな
こんな自分になっているだなんて、自分は思いもしなかった
でもうれしい、今の私はきっと昔の私の理想以上だと思う
過去の囚われず、今正しいことをやっていきたいと思う
そうやって悩んで、苦しんだことは、きっと私の役に立つ
そうして生きていこう
正しいことをしていれば、道は間違えない