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フィリピンに行った時と何も変わってない。ように感じる。

外側にいる自分が思考で
内側で泣いている幼い頃の姿のままの私が魂。

ずっと泣いている。絶えることない炎みたいに。
外にいる自分が手を差し出して何度も問いかけるんだ。

💭:「外に出よう。もっと知らない世界を見に行こう。聞きに行こう。」

🫐:「行きたくない。今ここがいいの。甘い時間の方が好きなの。」

💭:「君と一緒じゃなきゃ、私は何も感じることができないんだ。僕は思考だから。」

🫐:「だって外に出たら、人間がたくさんいる。裏切られるかもしれない。騙されるかもしれない。愛してくれたとしても離れていくかもしれない。たくさん傷つくかもしれない。そんなリスク、背負う必要なんかない。」

💭:「確かにそうだ。でも、みたい世界があるんだ。聞きたい世界があるんだ。出逢いたい人たちが待ってるかもしれないんだ。世界を戦い抜いた先に見える景色を一緒にみようよ。」


そうやって拮抗する。思考💭と魂🫐が。自分の中で。魂を本当に燃やすことができたら、それは生きる実感となって灯火がともる。🌙

一緒にいるだけじゃダメなんだ。ヨシヨシばっかりじゃダメなんだ。
私はこの魂を突き落として対峙して殺さないとだめだ。そうして初めて、倒して初めて強い味方になる。



それはフィリピンにいた時と同じで。
甘い誘惑に負けて快楽に溺れると、
魂がなえる。弱々しくなる。生きているギラギラさがなくなる。丸くなる。尖れない。ダサい。醜い。汚い。


「みんなにとっての本当の家族のように、本当のお姉ちゃんみたいになりたいんだ。みんなのこと、心から愛したいんだ」
フィリピンに来た建前みたいな大義名分を
志をリセル(フィリピンの大事だった私の友達)に話すと、笑ってぎゅってしてくれた。ぎゅってされる価値なんてない人間なんだよって思った。だって、頭の中は将来、このフィリピンに来たっていう半年ど田舎で過ごしたって経歴を語れるって卑しい気持ちが入ってたから。それでも、志は半分本当で、半分覚悟がないぐらぐら。カッコ悪い。弱い。でも、それも含めて自分なんだ。

自分なんてって、魂が言うと、それが本当にその通りになるんだ。後半は、そんな自分と戦って、悩んで、迷って、情けなくて、もう2度とここに来たくないって思った。まだ魂は心の中でシクシク泣いたまま。

思考だけが、

「ここじゃないどこかへ行かないと。」

そう呟き続けていた。思考と魂が乖離してるイメージ。

今も、泣いてる魂がそばにいて。でもたまに、あったかい木漏れ日みたいな光が差し込むように思考の方が、魂を抱きしめる時がある。その後、魂をとろけるみたいに半殺しにして、でも殺しきれない。中途半端になってる感覚。
殺し切れたら、その時は、私はなにかになれるかな?魂と思考が一緒になったら、私は私を認めることができるかな?私は何になりたいのかな?

ワカラナイ。
…ワカラナイ。
ワカンナイ。


でも、最近、心の中にうごめくなにか。今まで形もなかった音もなかった無だった何かが、生まれ出しそうになってる感覚。

著したい。表したい。表現したい。

良いとか悪いとか
正義とか悪とか
生とか死とか
愛とか憎悪とか
そんなの全部どうでも良い。

見境なく、ただただ広がる〝あったかい楽しい〟そんな言葉で区切るのは勿体無いぐらいのキレイで汚くて美しくて醜い…色で言ったら、金色と白の中間の光みたいなでも青が入ってるイメージの。それが自分の内側からじんわり、ゆっくり流れ出してるイメージ。

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