継母からラインがくるだけで 心臓がドキドキして、嫌な気持ちになってしまう 相手はそこまでなんとも思ってないにしても 私はいろいろ余計なことまで詮索してしまって 返事を返すことすら 時間がすごくかかって 慎重に慎重に 言葉に誤りがないか 誤解されるような文になっていないか 何度も確認して それでも不安で 相方に文章を見てもらって、大丈夫な文か 確認してもらってから、返事を返す 血は繋がっていないけど、私の母であることは 存在がある限り、続くから 距離を置いて暮らしていても、
がんばっているつもりはない がんばってるねーと言われても、、 がんばって!って言われるのもいや 強いねって言われるもいや 強いわけではないし、むしろ強くなりたいと思っているんだし、、、 あなたの方が強いって思うよ 適当に言わないでよ 言葉って難しい
忘れられないことはいっぱいあるけど、 嫌なことは今でも鮮明に憶えている 私が小学校に入る前に生みの母親は家を出ていき、しばらくして父に新しい彼女が出来た 私に紹介したいと言ってきて、もちろんOK 私は優しい父親が大好きだったし、そんな父が寂しそうにしてたから、彼女はどんな人だろうと楽しみだった 初めて会った彼女は7個年下の綺麗な人 スタイルもよくて車の運転が上手でスポーツ万能 すごく優しくてすごく気配りの出来る綺麗好きな優しい方だった 私にもいつも何かプレゼントをくれた
私には母が2人いる (相方のお義母さんを合わせると3人) 生みの母親と育ての母親 生みの母親は私が小学校に入る前に家を出て行った そして20歳になって、再会した それが父との約束だったから 出て行った原因は両親どちらともの不倫 父は軽い気持ちの浮気だったけど、 母は本気だった そしてその関係は私と再会した時も継続してて、 相手が病気で亡くなるまでずっと続いてた 相手にも家族がいて、関係は終わっていたらしい 遠距離だったのでたまに会いに来る年上の彼氏とは毎日のように電話
10th story H25,9 出産 妊娠が分かってから、最初はびくびくしながら生活していたが、 体調管理をしながら過ごすうちにだんだんと慣れてきた 幸いにも悪阻にあまり悩まされなかったので、軽い嗚咽程度ですみ、 恐怖の低気圧時期である梅雨を乗り越えれば、気持ちも安定していた お腹の子は順調に何も問題なく育ってくれたので、 最低限のことに注意を払う以外は(※story9参考) 好きな物を食べたり、物作りに励んだりして、楽しんで過ごした 予定日に向けて、最終段階でどう
9th story H25,1 妊娠した 12月は安静に過ごし、なんとか気胸を自然治癒させることが出来た。 1月に入り、また普通通り仕事復帰し、無理な体勢や重たい物は 持たないように気を付けながら事務作業をしていた。 もちろん自転車はしばらく乗らず、バス通勤。 治ったといい聞かせながらも、やっぱり不安な気持ちはずっとあった・・・ (・・・会社を辞めようかな・・・) 安静にしている時間の中、次第にその答えに行きついていた 何度も気胸になるには、何か他に原因があるのかもしれな
8th story H24,12 また!?左が再発 あれから、体力を付けようと 家でヨガをやったり、ストレッチをしたりと軽い運動を行い、 普通の生活を送っていた。 もちろん会社にも自転車で行っていた。 そんな12月初めの頃だった・・・ 会社の年に2回の大きなイベントを控え、私は慌ただしく 洋服のアイロン掛けをしていた。 100枚以上はあったと思う、朝から夕方まで立ちっぱなしで 一人で作業していると、さすがに疲れてきた。 いつものように前かがみの体勢で、洋服を持ちあげよう
7th story H24,8 前向きになれた束の間 翌朝はお腹がすいているのか、吐き気なのかよく分からなかったが、 肺の痛みには徐々に慣れてきた (人間の自然治癒力ってホントにすごい!) 術後一番厄介なことは、痰が絡むから咳が傷口に響くことくらい お昼にはやっと久しぶりの御飯が運ばれてきた おかゆ定食だけど、一日ぶりに食べる御飯はすごく感動する! 一人で起き上がれず、ベッドの上半身部分を起こしてもらい、 スプーンですくって食べる おいしい!!(涙) 慌ててかきこんだから
6th story H24,8 一年ぶりの入院 一年後にまたここに帰ってくるとは・・・ 明日の手術の為に、体が動けるうちに早めのお風呂に入る 手術に必要な物を売店で買い揃えたり ・・・入院も2回目となると、手際がいい 一人で手術を決断してしまったので、 今日は誰も立ち合える人がおらず、 手術の説明を一人で聞くことになった (まぁ2回目だし、内容は分かってるからね) 手術当日 一時間前に親がきて、自分で手術の説明を親にして、 手術の同意書にサインをもらった 手術着・靴下・
5th story H24,7 まさかの左気胸再発 やっと梅雨明けをしてから、二日目のお昼12時頃 その日はいつものように会社で洋服の出荷をしていた 洋服を梱包して、段ボール箱を会社の入り口まで運ぶという簡単な作業 前かがみになっている状態で、急に左肺らへんがキュッと痛む (ん、痛い・・・なんだろ・・・) そういえば先日も父と言い合いをしていた時、肺らへんが痛かった (まぁ気にしすぎも良くないし、気のせい気のせい!大丈夫やろ) そう自分に言い聞かせて、そのまま作業を続ける
4th story H23,9 術後と入院生活 気がつくと私はナースステーション横の別室にいた 親が心配そうにこちらを見ている 終わったんだ手術・・・ 頭がぼーっとする中、自分の置かれている状況を少しずつ理解していく ベッドに寝かせられた状態 左手が麻痺して動かない 点滴はそのまま左腕に 鼻と口に酸素を送り込む機械が付けられている 肺に管が通っているようだ オムツを履いているし、尿管が入っているみたいでなんか気持ち悪い感覚 痛み止めが効いていて、そんなに痛くない 気分がハ
3rd story H23,8末 はじめての入院と手術 それからまた自宅安静、いよいよ身内立ち会いの元、 入院と手術の日取りが決まった 手術の二日前から病院に入る ここで入院に必要な物(あれば使えるもの)をご紹介 ●前開きのパジャマ・下着類 ●歯ブラシセットや洗面用具(シャンプー・ボディーソープ類) ●お箸 ●コップ ●スリッパ ●ティッシュ箱 ●フェイスタオル ●大きめのバスタオル1枚 ●ハンガー ●耳栓(個室の場合は不要) 病院によって異なると思いますので、不安な場
story(2nd) H23,8 自宅安静を繰り返す日々 それから自宅安静の日々を過ごし、 一週間後くらいにまた病院へ行って、レントゲンを撮った 結果、左肺は少しずつ膨らんでおり、 普通に生活して大丈夫くらいまで回復した すぐさま仕事復帰し、しばらくはバス通勤した ずっと自転車を会社に置いたままにしていたので、 2週間ぶりに自転車に乗って会社から家に帰るのだが、 それがまずかったようだ! 家に帰り着く頃には、また息苦しくなっていた・・・ (うぅ・・・息できない・・・痛い
◇これは今から11年前の2012年7月〜2015年9月までの気胸になった私の話◇ 当時記録しておこうと思い、「ペコの気胸体験記」という見出しでホームページを作りました。(検索したらまだ残っています) もう更新しないだろうと思っていましたが、10年ぶりに気胸を再発してしまったので、続きをこちらに投稿しようと思います。 話は出産の話まで続くので、こちらに全て投稿をコピペで引っ越しさせようと思います。 同じく気胸で辛い思いをされている方がいたら、何か小さなことでも参考にになればと思
自分の家が好き 自分の家族が好き 自分の家が1番落ち着く そう思えることだけでも 幸せだな 自分が自分でいられる場所と それを分かち合える家族がいてくれることに 感謝
言わないのも修行 私にはこれが足りない 言ったもん勝ちではない時もあるんだ、、