センター試験の思い出①
今日は共通試験の日!
私はセンター試験は人生で2度経験した。
私の中で大学受験は人生の一大行事であった。2回もやったからね(笑)
思い出をふりかえる。
共通テストにお名前が変わったが、直近の過去問を見る限り、問題はほぼ当時と同じような形式だと感じた。
私の中ではセンターなので、センター試験と書く。
1度目のセンター試験
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なにひとつ合ってない
1度目のセンター試験は2015年。
センター試験の受験科目
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この年(1年目)の受験は、理系5教科7科目。
私は理系の物理クラスに所属していた。
化学系は物理と化学が受験科目。
高校生の時は2年間、女子は10人、男子30人というクラスだった。それほど物理を選ぶ女子は少ない。
10人の女子で私以外は多分ほぼ全員、医療系の職についている。
理学療法士、作業療法士、臨床工学技士などだ。
生物科のほうの友達は臨床検査技師や救急救命士、看護師など。
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当時の私は薬学部を目指していた。
。。。まず高校入学時点では理学療法士を目指していた。
中学で靭帯損傷をやったときにリハビリしてくれたお兄さんがイケメンだったから(笑)
高校入学時点の志望校は、第一志望が首都大学東京(現在の東京都立大)、第二志望が信州大だった。
が、調べてみたら信州大など理学療法学科は人体解剖の授業がある。
誰かのご遺体を解剖する・・・怖くなって理学療法士自体を目指すのをやめた。
そもそも私の高校は進学校ではなかったので、かなり勉強しないと厳しいよという感じだった。
解剖があることをしり、かつ勉強を頑張るにつれて、夢が変わる。
次の夢は薬剤師。
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薬剤師ってお金稼げそうだしなんかかっこいい、結婚してもドラッグストアで薬剤師としてパートができるじゃん!!と思って薬学部を目指すことにした。
高校3年の時点での第一志望は静岡県立大学の薬学部。
ただし、国公立大学の薬学部は偏差値が高い。
私立大学の薬学部は誰でも入学できるような大学もあるが、授業料が高く、うちには厳しかった。
医学部と同様に6年制だから。
両親は「偏差値」というのすらよくわかっていなかったが、応援はしてくれた。
1年目:センター試験会場までの道のり
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センター試験の会場が家からすごく遠かった。
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静岡市内の高校で、自分のいるエリアから電車を乗り継いで1時間以上かかる。そこからバスに乗るという場所だった。
まず、自分の家は最寄り駅から歩いたら1時間半ほどかかるので、駅まで両親に車で送ってもらった。
ほぼクラスの全員がセンター試験を受ける感じだったので、友達と一緒に電車に乗った。
ワンマン電車で乗り換え駅まで向かう。
車内に変わったおばさんがいて常に奇声をあげていたため、試験前にちょっと確認しておこうと参考書を読んだがあまり身にならなかった。
ドキドキ。
センター試験会場の緊張感
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センター試験会場では、同じ学校の人ともバラバラになるから孤独だ。
与えられた受験番号の教室を探し着席。
私の後ろの席の女子が、いかにも勉強ができなさそうな記念受験陽キャという感じだった。
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本当はもっと全然陽キャっぽかった。
休憩時間もできた~?よくわかんなかった!とかいいながら男女グループになり騒ぎ始める。
しかし、よくよく耳をすませて盗み聞きしていたら、県内で最も頭の良い高校の生徒だった。
この人たちはこんなに緊張せず楽勝な感じ、、、それほど余裕ってこと???!!!
心の平静を装ったけれど、正直この年のセンター試験の時点ではもう浪人をほぼ決めていた。
私は高校にはいったときに後ろから3番目をマークした学力だったが、がんばって学年3位までたどり着いた。
文武両道型を目指して、小テストも定期試験も高得点を取れるように頑張ったので、学内評定も8.9くらいはあったと記憶している。基本は10段階で10か9、数学などは7とかだった記憶。
評定がよくても、私の高校では推薦枠は自力で大学に行けない人用の枠だった。
先生が学校自体の進学率というのを重視していた。
学校の勉強は先生のテスト傾向ががっつりあって、学校の勉強でいい点数をとれても、大学受験には対応できない感じがあった。
1年目のセンター試験の結果
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1度目の受験は、部活がおわってから受験までで勉強が間に合わず、センター試験は5割くらいの点数だった。
数学2Bが難化した年で、平均点が39点だった年。
大学受験の恐ろしいところは、全国の平均点が39点だったとしても、何喰わぬ顔で90点以上を普通に取れる層が存在するということだ。
そういう人たちが難関大学へ行く。
私は数学がめっぽうできない人間でほんとにひどい点数をとった記憶がある(笑)
もちろん平均点以下だった!もう捨ててしまいたくなった(笑)
社会科目は地理だったが、それもひどい点数だった記憶がある。
確か英語と国語だけ6割くらいとれたはずだけど、特にできた!みたいな科目がなかった。
1年目センター後の学校生活
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わたしはセンター前から受験ストレスで体調がボロボロになっていたが、センター後は1度ガスが抜けて、学校の雰囲気もちょっと緊張が解けた感じがあった。
というか、センター前って学校全体がピリピリしていた。
みんな必死だからだ。
しかし、一部推薦組がいるので、その人たちとのギャップがすごい。
センター明けの月曜日、国公立を目指す人たちを集めて、先生がいったのが「いますぐにみなさん進路を変更して」だった。
北海道の室蘭工業大学、北見工業大学、その他東北の山形大学あたりが狙い目みたいなことを言った。
国公立大学への進学率をあげるためだ。
それで進路を変更する人も多かった。同じ学年でも何人も北海道の僻地大学に進んだ。
国公立大学2次試験と浪人への道
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私は薬学部はセンター試験の得点てきに受けることすら難しかったので、応用生物科みたいなところを記念受験した。
もちろん落ちた。
私立は受けていない。単願だった。
だいたい卒業式の後の春休みくらいには、みんなの結果がわかる。
第一志望の国公立大学に行けた友人はほぼいなかった。
途中で進路を大幅に変更せざるを得なかった人(センター後にランクダウン)、受験して落ちた人など。
国公立二次試験を受ける人にとってはセンター試験はある意味、足きりラインのような試験なのでとても重要なのだ。
何パーセントをとることができたかで、二次試験の合格にも響く。
私の周りで国公立を受験した友人は、みんな滑り止めの私立大学へ進学した。
大学受験って本当に思っている以上に厳しい戦いだったのだ!!!
ただ、私はプライドが高かったので友達が良い大学に行けずにほっとしてしまった💦💦
私の学年でずっと学年1位だった男の子が行ったのが横浜国立大学だった。
マーチ大学に進めた人は学年で10人以下。
国公立大学にはランクというものが存在する。
東大・京大・東工大・一橋大学、旧帝大学などが世間一般では難関国公立大学と言われる。
学科にもよると思うけれど、センター試験では80%以上の得点率を出せないとそもそも厳しい。
同じ学年から上記の大学に進学したものは0人。
その下に、筑横千と言われている、筑波大学、横浜国立大学、千葉大学や、神戸大学、お茶の水大学、東京都立大(元首都大学東京)、東京外大など準難関国公立大学がある。
センター試験の得点率は75%以上は欲しい。
同じ学年から上記の大学に進学したものは1人。
上の学年の先輩たちの合格体験記のようなものを読んだが、1学年で1人でるかどうか。
わたしの高校は進学校とは言えない感じだったので、レベル感はそのくらいだった。
市内中学から行ける一番の進学校があって、そこに通っていた頭の良い友人は旧帝国大学にはいった。
だから高校の偏差値が高ければ、周りの友人の大学受験の成功率も上がると思う。
しかし、その高校ですら受験に失敗して聞いたことのない私立大学に行った人たちはたくさんいた。(中学で上位20位だった同級生たち)
浪人生活
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浪人を決めた人は学年で10人くらいいた。
同じクラスで私の次に学年順位が高かった女子も浪人した。
私は現役のとき、予備校に入っていなかった。
あと1年も予備校に通わない自宅浪人を選んだが、どの先生も自宅浪人はほぼ100%失敗すると言い張った。
浪人生活は非常にきつい1年間となった。
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でもちゃんと合格したから大丈夫だとあの頃のわたしを抱きしめたい。
センター試験って人生のすべてだと思いがちだけど、後から思えばすべてではない。
でも当事者からしたらすべてだ。
2日間で全部決まってしまう。
悲しいことに全部決まってしまうといっても過言ではないほど大学受験では重要なのだ。
1年目はシンプルに失敗したから失敗談を書いた。
次の記事では成功談を書く(笑)
みんな頑張れと思う。自分のベストを出せれば良いのだ!!
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