◇自己紹介
はじめまして。
Twitterでは『あい@自愛の女神』という
アカウントで発信しています。
Twitterを1年続けてみて、
ようやくやりたいこと・方向性が見えて来て、
改めて自己紹介のようなものを
書いてみたくなりました。
少しお付き合いいただけたら幸いです。
◆生い立ち・幼少期
1976年 奈良県うまれ。
生まれた時から発育が遅かったが、
原因がわからなかった。
「脳性まひ」と診断名がついたのは、
生後2年半が過ぎた頃だった。
その頃の私は、自分で立つことは出来なかったが、
よく笑いよく喋る子どもだったそうだ。
診断名がつくまでの間、
母親はいくつもの病院を回っていたと聞いた。
そしてある時、精神的に限界が来て、
無理心中をはかり失敗したこともあったらしい。
※その後、2回繰り返しいずれも失敗
毎週のリハビリと自宅でのトレーニングの結果、
幼稚園入園までには、自力歩行出来るようになった。
その頃の障害は、「脳性まひによる運動機能障害」で、
手足にマヒがあるが、着替えや歯磨きなど
最低限の自分のことは何とか自分でできた。
私は、歌とお遊戯が好きな活発な幼稚園児だった。
卒園前の生活発表会で、
主役のお姫様がやりたいと泣いて訴えたが、
母親が「目立たない役をやらせてください」
と申し出て、
『その他大勢の星の役』をやった。(やらされた!)
今も忘れられない悔しい思い出だ。
◆小学生〜高校卒業
母親は、
「運動できないから、勉強だけは負けたらあかん」
と言い続け、体育以外は概ね成績優秀。
小学校6年間のうち8割くらいの期間は
イジメにあっていた。
ある日、耐えかねて母親に相談したが、
「泣いたら負け」と突っぱねられたのだ。
そこからは、「世界はみんな敵」と思うように。
その後、「イジメはなくなった」と母親に言ったのが、
最初の大きな嘘。
自分を守るため。
自分の周りに人を集めるため。
良く思われたいがため。
母親に認められるため。
嘘をつくことが常態化。
中学生になり、股関節などの手術のため入院。
院内の養護学校(現在の支援学校)で勉強していた。
成績はみるみる下降するが、
「障害者」の友達が大勢できた。
「一般校と養護学校、どっちも知るからこそ、
どっちの立場ででも発言できるのは強み」
と、先輩に言ってもらい、自信になった。
自由に動けなくて表現者になれないなら、
発信者になりたいと考えていた。
退院後、とある団体からの講演依頼を
受けたことをきっかけに、
20代前半までのあいだに
大小合わせて12回の講演をおこなった。
一方、嘘つきは徐々にエスカレートしていた。
自分でもイヤになるくらい、息をする様に嘘をついた。
記憶力が乏しいので、嘘をついたことも、
その内容も忘れてしまい、
言ってることがめちゃくちゃだった。
その結果、高校時代は友達が一人もいなかった。
自業自得だ。
◆大学入学以降
大学でカウンセリング研修課程を履修。
大学卒業後、養成スクールを修了し、
カウンセラーとして
心療内科クリニックに就職するが、
超ブラックだった。
カウンセリング以外の業務も
同時にいくつもこなさなければならず、
パニック障害になり1年で退職。
半年の療養後、化粧品販売会社に就職。
「女性の職場」特有の派閥に馴染めず、
またイジメの対象となるが、
母親から「働かざる者食うべからず」
と言われ続けていたため仕事は続けた。
仕事とイジメのストレスから、
たびたび意識消失発作を起こしては、
病院に緊急搬送されていた。
何度目かの搬送の時に
脳の精密検査を受けることになり、
それで初めて頭の中の脳梁という部分が
小さいことが判明した。
25歳の時だった。
数年間勤務し、結婚退職。
その後、現在の会社に就職。
勤務中のケガが元で、車椅子生活になる。
※現在は、杖メインで必要に応じて車椅子を使用。
◆自分で自分を幸せにする『福業』を始めた
障害者である自分は、どうせ幸せになれない。
と、周りを羨む生活を送っていた。
そして、誰かが私を劇的に変えてくれることを
期待していた。
新興宗教に入信し、熱心にお墓参りをした。
自分を変えてくれそうな自己啓発セミナーに通い、
大金を使った。
『これをやれば必ず稼げる』系の
起業塾にも足を運んだ。
キラキラ系の流行の本を乱読していた。
自分が幸せになれる《ナニカ》は、
外の世界にあるものと信じて疑っていなかったのだ。
インプットだけしていたら、
自分も勝手にそうなると思っていた。
自分が幸せを感じるものが何なのか知ろうとせず、
○○さんのようになったら幸せに違いないと、
今思えば見当違いの生き方を爆進していた。
そんなとき、「自分に還る」ことを
実践している女性のブログが目に止まった。
自分が幸せになれる《ナニカ》の見つけ方や、
「自分を生きる」とはどういうことが
そこに書かれていたのだ。
最初は、その女性のようになりたいと思い、
提唱されているメソッド(手法)が
使えるようになれば、
セッションで起業出来るし、
自分も幸せになれると思った。
そのメソッドを学び、実践していた6ヶ月間は、
今までの自分と正面から向き合った。
「もう、逃げたくない。私は私の人生を生きる!」
見たくない過去・嘘つきの自分
そして、母親に抱いていた思い。
自分ではうまく隠してるつもりだったが、
実は全部周りにバレていたことも分かって、
愕然とした。
その女性のようにならなくても、
私はこのままで、もう幸せになっていいんだ。
誰かの幸せに、自分を合わせなくていいんだ。
「障害者の私なんて、幸せになってはいけない」
と、自分が幸せになることを、
許していなかっただけだった。
自分の答えは外側にはない。
今の自分は自分が選んできた。
このことが腑に落ちた瞬間でもあった。
SNSでの発信やセッションをしていく中で、
幸せになるのに、環境・障害・病気・年齢など、
全く関係ないと実感。
ブログの女性の「不完全で完成形」という
言葉に救われた。
足りない部分があっても、
それを認めて生きていっていい。
拗らせる必要はない。と気づく。
脳梁が小さいことで、
右脳と左脳の伝達があまり上手くない。
実は、文字のコミュニケーションが苦手なんだと
最近気づいた。
会話も途中で何が言いたかったか
わからなくなることがある。
もちろん、私はこれを不幸だとは思っていない。
死ぬまで、私は私で生きる。
『私は障害があって理解されなくてかわいそう』
と思い続けることがうっとうしいと思った。
「じゃあ、私はどうしたい?」と、自分に問い続け、
脳も障害もこのままで、自分を幸せにすると決めた。
だから私は、
障害を言い訳にしない生き方を体現している。
◆セルフハグで自分を許す人を増やしたい
Twitterで、「愛と在り方」を発信するうちに、
HUGの力に注目。
うつ病の夫と、毎晩寝る前にHUGし続けていると、
夫の症状が回復してきたのだ。
※服薬など適切な治療を併行
また、自分を許すセルフハグで、
自分自身を大切にできていることで、
周りの人たちにも愛を持って接することが
できるようになった。
セルフハグの効用を突きつめた時に、
《自分を許す》という概念がしっくりきた。
そして、自ら「自愛の女神」と名乗り、
まず自分を許すことの大切さを
発信していこうと決めた。
「身体障害者×SNS」
「経験×スピリチュアル」
このふたつを主軸に、
私らしく私にしかできないことをやっていく。
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noteも色々書いていきたいことがあるので、
是非フォロー・応援宜しくお願いします。
お読みくださり、ありがとうございました。
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