
町田康に海老を剥いてあげたい
(2008年06月27日 mixiに書いた文章です)
町田康は、中島らも氏亡き後、私が唯一、発売日に新刊を買う作家になった。
すんごい好きだ。町田康。
兎に角、町田康単行本はすべて読んでいる私である。
ちなみに、私の、普段の日記における、このけったいな文体は、
町田とらもでぐずぐずに煮込んだような文章で、彼らにはあほみたいに
判り易い影響を受けているんである。
そんな町田氏の新しいエッセイ集をぺらぺら読んでいると、
「今までは妻に海老を剥いてもらっていた」という一文があった。
くわあ。なんたる甘ちゃんだらうか。
妻に、海老を、剥いてもらってたぁ?はああ?
あなたは、妻なしでは、海老すらも食べられぬのですかあ???
と、思ったのはほんの2秒ほどで、その反骨精神は直、
嗚呼、私も町田康に海老を剥いてあげたいわ。
というファンタジーに駆逐されてしまったんである。
ここで自問するのが、ご存知の方も多いが、私の生業である。
夜も昼も、まあ、平たく言えば、
「おっさんの世話、もしくはおっさんあやし」
をやって糊口をしのいでいるわけで、この上、おっさんに海老を剥いて
さしあげたいなどというのは、これ、我ながら意外な反応である。
おっさんの世話は飽きているというのにも尚。
だがここで再び反問。
そうか、町田康のような才気あふれるおっさんになら、
海老のひとつも剥いてやりたい。だがしかし。
あたくしのあやしているおっさん連ときたら、この体たらくだ。
海老なんか一生剥いてあげたくない。
殻のまま食べ、歯に、喉に、気管に、詰まらすがよろし。
過日、
「桂米朝氏と並んで結婚会見をしていて、ふと横に坐る師匠を
見て、ああ、私、こんなおじいさんと結婚しちゃったんだ。
いくら人間国宝だからってなあ。。83歳だぜ??お母さん、ごめん!」
と思っている夢をみたのだが、米朝さんの海老なら剥いてあげたい。
だが、其れは、もはや介護では・・・などと思ってはいけない。
今後は、「私はこの人の海老を剥いてあげたいか否か」を、
ひとつの指針にしてみようかと思う。