二郷 愛

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二郷 愛

こころにうつりゆくよしなしごと 文学 クラシックロック 芸術 映画 歌舞伎 落語 古楽 酒 骨董  旅

マガジン

  • ムルソーと海水浴には行けない

  • ガンジスで沐浴するような女

    ガンジスで沐浴のシリーズ全5回をマガジンにまとめました。

  • 己のTシャツに責任を持て(全3編)

    Tシャツは旗標である。

  • 微風旋風(河北新報エッセイ連載のディレクターズカット版)

    2024年2月から6月まで、河北新報の朝刊に連載をしました。 全6回を編集前のディレクターズカット版で掲載しましたので、マガジンにまとめました。ぜひぜひ読んでください。

最近の記事

ムルソーと海水浴には行けない その壱

わたしは兎角、本を読むのが好きである。なぜこんなに、あほみたいに本ばかり読むのか。自らの読書の原初体験について、あらためて考えてみようと思う。 母には、よく「もう本を読むな」と言われていた。 しかし、極めて小児の頃にたくさんの絵本を与えたのは母である。 アルバムには、証拠写真がたくさんある。 幼稚園に入ってからも、4枚目の写真のような感じでいつも絵本を読んでいたので、やけに静かだな、と思って様子を見に来た母が「また、ご本読みしてる!」と呆れる声を何度も聞いた。 こんな調

    • ひとり旅の効能

      (河北新報2024/6/20『微風旋風』掲載のディレクターズカット版) ひとり旅は、わたしにとって一番効果の高い精神安定法である。 20代の初めごろから、ひとりで頻繁にパリへ行くようになった。はじめは仲のよい友達と行っていたのだが、ある時、日程、予算、行きたい場所、食べたいものなどのすり合わせをしなくてよいひとり旅の気楽さに気づいてしまった。また、元来さみしがり屋ではなく、どちらかというと常に放っておいてほしいと思っているので、ひとり旅はなにかとしっくり来た。 訪れた国は

      • 自由への道としての朝ごはん

        (河北新報2024/5/23『微風旋風』掲載のディレクターズカット版) 3年ほど前から、朝ごはんをほぼ毎日SNSに投稿している。ただのライフログとして始めたのだが、意外にも見てくれている人が多く、久しぶりに会った人に「いつも朝ごはん楽しみにしてるよ!」と言われたりする。 作るのは和食が多い。基本は土鍋で炊いたごはんと、お味噌汁、おかず、お漬物。お味噌汁の出汁を取る間に、冷蔵庫と相談しながら今日のおかずを決める。寝ぼけ頭で、思いつきで作ることが多いが、元来食いしん坊なため、

        • トラベリング・昭和兄弟

          (河北新報2024/4/25『微風旋風』掲載のディレクターズカット版) この連載が始まり、私の名前を久しぶりに見た知人の一体何人が「あっ。高見沢さん命の、あの二郷愛だ!」と思ったことだろう。子供の頃から正に筋金入りのアルフィーファンである私は、とうとう本日、新聞朝刊でまでアルフィーを語らんとしている。まいったか! デビュー50周年の今年も、彼らはいつも通りパワフルだ。デビューから一度も活動休止をすることなく、常に全国を巡ってライヴをしている本物のトラベリング・バンド。毎年

        ムルソーと海水浴には行けない その壱

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        • ムルソーと海水浴には行けない
          1本
        • ガンジスで沐浴するような女
          5本
        • 己のTシャツに責任を持て(全3編)
          3本
        • 微風旋風(河北新報エッセイ連載のディレクターズカット版)
          6本

        記事

          洲之内コレクションに囲まれたい

          (河北新報2024/3/28『微風旋風』掲載のディレクターズカット版) 東北工業大学一番町ロビー(青葉区)の前を歩いていると、視界に海老原喜之助の絵画『ポワソニエール』が映り、思わず「えっ!」と声を発し、駆け寄った。休館中の宮城県美術館が誇る「洲之内コレクション」の中でも特に有名な作品のひとつだ。よく見ると、高精細レプリカの展示だという。 他にも、人気の高い長谷川潾二郎の『猫』のレプリカなども展示されていて、私は現在休館中の美術館の大好きな作品たちに思いを巡らせた。  洲

          洲之内コレクションに囲まれたい

          上方落語へのあこがれ

          (河北新報2024/2/29『微風旋風』掲載のディレクターズカット版) 小さい頃、日常生活が和服だった明治生まれの祖母と、外遊びがあまり好きではなかったわたしは、いつも一緒にテレビの大相撲や時代劇、歌舞伎、落語を観ていた。 そのおかげか、わたしはだいぶ子供の頃から落語が好きだった。はじめは、家にあった江戸落語のカセットテープを繰り返し聴いていたのだが、なにかのきっかけで初めて上方落語を聴いた。それが三代目桂米朝の落語だった。 米朝師匠は、一時衰退しかけた上方落語の中興の祖

          上方落語へのあこがれ

          いつもここにあるお店

          (河北新報2024/2/1『微風旋風』掲載のディレクターズカット版) 家業に携わって20年以上が経った。伯母と母と叔父がきょうだいで始めた小さなバーは、まだ飲食店の少なかった国分町に昭和44年に創業した。 折しも日本は高度成長期である。好景気の波に乗り、文字通りの”姉妹店“を展開して長い間2店舗で営業を続けてきた。13年ほど前にわたしと従弟が後を継ぐこととなったため、1店舗に統合し、今に至る。店はこれまで、バブル景気とその崩壊、そこからの終わりの見えない不況、東日本大震災

          いつもここにあるお店

          売文稼業はじめました

          昨日、朝刊の連載が最終回を迎えた。 2024年2月1日より、4週に1回、半年間の約束にてエッセイを書かせていただいた。わたしが担当したコーナーは4人の著者が半年間ずつ担当するエッセイ欄で、この度の著者陣は映画監督、大学教授、小説家、そしてバーオーナーという謎の肩書のわたしであった。 昨年、河北新報社の記者さんから「書いてみませんか」とご連絡を頂いたときは、本当に飛び上がって喜んだ。聞くところによると、noteの記事を読んでくださっての依頼だという。つくづく、noteには大感

          売文稼業はじめました

          高見沢俊彦生誕70年祭記念・寿ぎの言葉

          2024年4月17日、愛してやまない高見沢俊彦が70歳になった。古希である。 Facebookには「思い出」という機能があって、何年前の今日の投稿というのが見られるのだが、今日の「思い出」は高見沢俊彦への寿ぎが連綿と綴られている。これはこれでなかなかの読み応えであったため、ここに纏めておこうと思う。誰得と謗るなかれ。ただの、わが心の軌跡である故。 寿ぎの記載はFacebookを始めた2011年から、今年まで。記載がない年もあったが、ほぼ毎年なにか書いている。今年の分から次第

          高見沢俊彦生誕70年祭記念・寿ぎの言葉

          貧スパの日々

          土曜の午後、自転車でご近所の親しい先生のお家に遊びに行った。 可憐なお雛様や可愛い吊るし雛、奥様の指ぬき(シンブル)のコレクションを見せていただいたり、先生の圧巻の蔵書やレコードライブラリーを拝見し、素晴らしいスピーカーでベートーヴェンを聴かせてもらったりして、非常に豊かな土曜の午後を過ごした。 文化的には非常に豊かな午後だったが、朝ご飯を遅めに食べたせいでお昼を食べていなかったため、交響曲に合わせてお腹もぐうと鳴りはじめた。そして次第に「カラヤンによるウィーンフィルとわた

          貧スパの日々

          バー ルパンの夜

          (2023年2月24日 Facebookに載せた文章を再掲) 遂に行った。 こどもの頃から憧れていた、あのルパンだ。 興奮。 もっとすごく入りづらいお店だと思っていたので、あまりの盛況ぶりに驚いた。でも、誰もそんなに文豪に興味なさそうだった。 わたしはずっと、ここで飲むものを決めていた。実に35年ぐらい前から決めていた。坂口安吾が飲んでいたゴールデン・フィズだ。 文庫本は、太宰かオダサクか安吾、どれを連れて行こうかと悩んだが、安吾にした。中学生の時に胸を熱くして読

          バー ルパンの夜

          己のTシャツに責任を持て 伊丹十三編

          伊丹十三ぐらいかっこいい人はいない、といつも思っている。 生きていると、人は、目玉焼きを食べたり、スパゲティを食べたり、サラダを食べたり、マニュアル車を運転したり、靴下を履いたりする。 わたしはその度毎に、伊丹十三のことを思い出す。しかも、たいていは、伊丹さん、今日はちょっとダサいことになっちゃったけど許して、という気持ちで思い出す。エンジンブレーキをあまり効かせないままブレーキランプを点灯させてしまった緩い坂道や、寒い朝に分厚い靴下を履くときなどに、ああ、これ伊丹さんに

          己のTシャツに責任を持て 伊丹十三編

          己のTシャツに責任を持て チェ・ゲバラ編

          チェ・ゲバラの『ゲバラ日記』を読んで胸を熱くし、また『斜陽』のなかの一文「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」にむやみに感動したりするようなちょっとアレな女子高生だったわたしは、10代の頃からチェ・ゲバラの肖像が描かれたTシャツを着ていた。きわめて小さな頃からやたら義侠心の強い子供だったため、娘が革命家のTシャツなど着始めた時には、母はさぞかし心配だったことと思う。 泥酔した上、アイスクリームを振りかざしながら実存主義がどうのこうのと謎のアジ演説のようなことをして、何度

          己のTシャツに責任を持て チェ・ゲバラ編

          己のTシャツに責任を持て 某国編

          「人は己の着ているTシャツに責任を持て」という名言がある。 つくづく名言だなあ、と思うのだが、残念ながらご存じない方もいることだろう。 名言だが、認知度はまだそれ程高くないようだ。 なぜなら、それを言ったのはわたしだからである。 わたしは人がちょっと引くぐらい「好きなものが好き」なため、ローリングストーンズのベロTシャツを道行く若人が着ているのを見ると、気になって仕方がない。一度、うちのお店に来た若い男の子がベロTを着ていたので「あっ!ストーンズ好きなの?わたしストーンズ

          己のTシャツに責任を持て 某国編

          ミミックAI

          「ものまねをする人」「ものまねをしない人」 世の中の人は2つのタイプにカテゴライズすることができると常々思っている。する人はいつもしているが、しない人は一切しない。 わたしは「ものまねをする人」の方だ。 こどもの頃から、いつも身近な人の口まねをしている。 ただし、そこには、対象を見下した気持ちやデフォルメは一切ない。 聞こえた音、耳に残っているセリフを忠実にアウトプットしているだけである。 そして、「ものまねをすること」が目的なのではなく、その人がこう言っていたよ、という

          ミミックAI

          鋼のメンタル・バズカット

          2020年8月12日にFacebookに投稿した文章。 3年前の夏はまだ坊主で、分子標的薬の点滴にも通っていました。 いかにも自分らしい内容だったので、ここにも残しておこうと思います。ご一読ください。 ‪もう、どこに行くのも坊主で平気。‬ 今日は朝から分子標的薬の点滴でした。 診察の時、主治医が目を細めて「もうウィッグも帽子もやめたんだね〜!いいじゃないですか、カッコいい!」って言ってくれて嬉しかった。 先生がガンジス川沐浴経験者だって分かってから、ますます友達感覚。

          鋼のメンタル・バズカット