ガンジスで沐浴するような女 その弐
こちらのつづき。その弐です。
理不尽なビザ取得と現地移動の手配
インドへ行くと決めたときからインドの旅は始まっているとわたしは思う。理不尽にrejectされることが多いビザ取得は、此度も一度rejectされた。しかも、通らなかった理由は絶対に教えてくれないのだが、もしかしたら、証明写真の顔の角度が微妙に良くなかったのかもと思い、撮りなおしたらあっさり取得できた。この肩透かし感、さすがはインドである。
そして、今回は沐浴が一番の目的なので、念のため現地ガイドとドライバーを手配した。また、寝台列車で移動がしてみたかったので、その手筈も整えた。夢の沐浴、憧れのインド鉄道。
夜にデリーに着くと、「MISS AI NIGO」書かれた紙を掲げて、お腹の出たおじさんが待っていてくれた。外で車が待っており、それに乗ってまず夕飯を食べに行った。勿論カリーである。
その夜の宿は、思いがけずトイレットペーパー完備だったりきれいな温水の出るシャワー完備だったりで、とうとうインドもきれいになってきたのだなぁと思った。
「親を亡くすと」
次の日、早朝に国内線でバラナシへ向かった。国内線はわたし以外ほぼ全員がインド人だった。わたしの旅恒例の「なぜ東洋人のこどもがひとりでいるんだ?」という目で人々にじろじろ見られながらの移動だ。
着後、初転法輪の地、サールナートを訪れた。サールナートはじりじりと暑く、至る所に母の好きだったひまわりが咲き乱れていた。ひまわりが目に映る度に、母の笑顔と声を思い出し、少しだけ泣きたくなった。
わたしは相当な仏像好きでもあるのだが、サールナートの博物館にある釈尊初転法輪像は息をのむ美しさで、涙が溢れそうになった。しかし、撮影禁止、パンフレットもポストカードもないという塩対応だったため、そのお姿は瞼に焼き付けるしかなかった。
道中、ガイドのおじさんに「実はガンジスで沐浴がしたい」と言うと、おじさんが「インドでは、親が亡くなった時にガンジスで沐浴をする。実は、自分は半年前に父親を亡くしたので、丁度沐浴したいと思っていた」と言うではないか。わたしも母を亡くしたばかりなのだと話すと、おじさんは「それは何かの導きだ。わたしもあなたも導かれたんだ。明日の早朝に沐浴に行こう」と言ってくれた。日本人の沐浴は、そのあとに体調を崩す人が多いため、断ることが多いのだそうだが、今回は特別なケースだとのことだった。それにしても、インドの人が親を亡くすとガンジスに沐浴に行くなんて知らなかった。確かに、なにかの導きとしか思えない。
遂に沐浴を果たす
次の朝、夜明け前にホテルを出て、日の出の直前にガンジスに着いた。
此岸側には、音に聞く火葬場がたくさんあり、遺体が焼かれる炎がここそこで燃えていた。人が燃えているその炎を目の当たりにし、語りえぬ荘厳な思いに駆られた。
そしてすぐ横には生活排水の出口があったり、大量の塵芥が浮いていたり、多分動物だったなにかが浮いていたりした。聞きしに勝るガンジスだ。
最高だ。
朝日が昇り、ガンジスは朝焼けで真っ赤になった。
わたしたちはボートで対岸のほうに渡った。
対岸のほうが遠浅で、流れも水質もましなのだそうだ。
まさに、此岸から彼岸へ。
そして「彼岸」は穏やかだった。
家族で沐浴をしていた人が声をかけてくれたが、英語が通じない。
ガイドのおじさんに通訳してもらいながら、一緒に沐浴をすることにした。
優しくて綺麗な女性が手をつないでくれて、わたしはガンジス川にそろそろと入った。
水が口に入らないように気を付けていたのは最初の30秒だけだった。そんなびくびくした沐浴をしていても全く面白くないからだ。そして、その家族がするように、潜ったり、浮かんでみたり、しまいには口をゆすいだりした。
(つづく)