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上方落語へのあこがれ
(河北新報2024/2/29『微風旋風』掲載のディレクターズカット版)
小さい頃、日常生活が和服だった明治生まれの祖母と、外遊びがあまり好きではなかったわたしは、いつも一緒にテレビの大相撲や時代劇、歌舞伎、落語を観ていた。
そのおかげか、わたしはだいぶ子供の頃から落語が好きだった。はじめは、家にあった江戸落語のカセットテープを繰り返し聴いていたのだが、なにかのきっかけで初めて上方落語を聴いた。それが三代目桂米朝の落語だった。
米朝師匠は、一時衰退しかけた上方落語の中興の祖の1人であり、人間国宝である。米朝師匠の落語は常に上品で、華やかさがあり、知的で、しかも艶があって、上方芸能のみならず、日本の伝統芸能に精通した本物の深みがある。その端正な芸風にわたしは夢中になった。
師匠は、落語家に弟子入りするより前に作家の正岡容に弟子入りした人で、非常に学究的な方である。古典落語を聴くにあたり、今は説明が必要になったような事柄については、噺の枕でさらりと教えてくれる。師匠の落語のおかげで、浄瑠璃や歌舞伎など、ほかの伝統芸能への理解も深まり、それらをより楽しむことが出来るようになった。
最後にお姿を拝見したのは2011年の紀伊國屋ホールだった。最前列で間近に見たそのお姿は一生忘れない。瞳がきらきらしていて、とても素敵な方だった。その後、2015年に89歳で鬼籍に入られたが、わたしは今も、相も変わらず米朝落語ばかり聴いている。
昨年の夏、仙台市内の居酒屋さんで米朝一門の若い落語家さんが高座を務めると聞き、嬉々として参じた。久しぶりに仙台で聴く上方落語だった。落語会は同じく上方落語の名門、笑福亭一門の落語家さんも一緒で、若手の爽やかさと小気味よさが大層心地よく、とても雰囲気のいい落語会だった。聞けば、仙台が誇る定席寄席である魅知国定席・花座にも出演されるとのことだったので、その後、花座にも足を運んだ。花座は、落語を聴くのに理想的な大きさの舞台である。街の真ん中にこうした場所があることは、仙台市民の誇りと言っていい。
仙台の地で聴く上方落語は、いつもそこだけ上方へ瞬間移動したような不思議な感覚になる。夢見心地で花座を出ると、そこはいつもの仙台の街。旅から帰ってきたように不思議とほっとするが、わたしの上方文化への憧れは止まない。